Violin弾きのお美っちゃん~16

オカリナの丘で……

子どもの頃、NHK高知児童合唱団で歌っていた。毎週土曜日の夕方には、テレビ局のスタジオでのリハーサルがあり、地元のテレビやラジオで放送されていた。

ちょうど東京オリンピック(1964年)が開催された時にカラーテレビが放送されるようになり、私たちは練習の休憩時間に、スタジオのカラーテレビで開会式を見た。画面の色が少しぶれてにじんでいたが、赤や白の鮮やかな色は何か希望の始まりのように感じられた。

私たち児童合唱団ではいろいろな歌を歌った。そして「NHK」と印刷されたバインダーに、歌の楽譜は増えていった。

NHKの「みんなのうた」という歌の番組も私は欠かさず見ていた。中でも「丘にのぼって~~~吹こうよオカーリナ~~~」という歌が好きだった。

紅く染まる丘の上で、私はひとり夕陽に向かってオカリナを吹いてみたかった。しかし家の近くの高知城にある「すべり山」ではどうもイメージがピッタリとこなかった。オカリナも持っていなかった。

「すべり山」はこんもり丸く丘になっていて草がはえていた。私たち子どもは、上から自転車でスピードを出して走り降りたり、おしりにダンボールをひいて草の上を滑ったりして遊んだ。ブランコやすべり台もあった。私はそこで夕暮れまで友だちと遊んだ。

そして、夕陽が次第に傾くにつれて、子どもらはひとりふたりと家に帰っていくのだった。ブランコやすべり台や低い草々は街灯に照らされて、くっきりと淋しく浮かび上がっていった。

そんな時にいつも私の心に「丘にのぼって~~~吹こうよオカーリナ~~~」という歌が聞こえてくるのだったが、「でも、すべり山はちょっとこの歌とイメージがちがうなあ」と思っていた。そして、すっかり暗くなってこの丘にひとりぼっちにならないうちにと、急いで自転車をこいで家に帰って行くのだった。

それから何十年。「この歌にふさわしい丘にいつか出会うかもしれない」ということを、私の記憶は忘れていなかった。

ホノルルの町が一望できる美しい「タンタラスの丘」の上にある服飾デザイナーのジェインさんの家を訪問した時、突然、「丘にのぼって~~~吹こうよオカーリナ~~~」のメロディーが心に聞こえてきたのだった。

その日、ダイヤモンドヘッドから、パールハーバーのずうーっと向こうの方まで見えるこの家の広い庭で、お茶を飲みながら午後の時間を過ごしていた。

ジェインさんとは、私がハワイに来てからすぐに知り合ったので、もう10年来のおつきあいになる。ジェインさんの80年余の人生からは、品格とともに、美しいものを創造し続けている内面に新鮮さを感じて、私は心ひかれている。

ーーーーハワイ時間12月7日にパールハーバーが襲撃され、日米戦争が始まり、欧州に加えて世界中が戦争になった。ダイヤモンドヘッドの方から飛行機がどんどん飛んできた。そして戒厳令が敷かれた。

ジェインさんたちは12月21日に結婚式を挙げる準備をしていたのだが、急遽予定を変更。真珠湾の翌日に結婚ライセンスを取りに行った。そして1週間後の12月14日に結婚式を挙げた。短い式を終えると牧師さんはソソクサと帰り、新郎新婦も帰って行った。

戦後になって、ジェインさん夫妻が50年前に何もなかったタンタラスの丘の上に初めて家を建築することになった時は、まだ道も電気も引かれていなかったので、ホノルル市が急遽、道を作り電柱を建てたという。ーーーー

今、ワイキキの海にはヨットが銀色に光り、細長く立ち並ぶビルの上空にはダイヤモンドヘッドの方に飛んでいく飛行機が見える。小さく見えるその飛行機は、まるで雲の上から糸で吊されているように、ゆっくりと動き、エンジン音が天空に鈍く響く。

そんな全ての情景を視野にしながらジェインさんと語らっているうちに、世の中がどんなに激動し、どのように移りかわろうとも、美しいものを創造し続けようとしてきたジェインさんの存在そのものが、実は本当に美しいのだと私は思った。

タンタラスの丘は次第に夕暮れに包まれた。…………「丘にのぼって~~~吹こうよオカーリナ~~~」。心の隅々に、歌詞とメロディーが広がっていった。

(毎日新聞USA連載)


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