Author Archives: AkioNakazawa

Haiku Poem

去年よりもっと暑いと三十年 きょねん より もっと あつい と さんじゅう ねん Hotter than last year, I’ve been complaining past 30 years. ハワイに住んで三十年、でも記録の上では、それほどの違いもないんですね。 10月には東京に行くつもりですが、家内の妹が、Washinton 州 の Whatcom Community College の学長で、東京の幾つかの大学から講演を頼まれて行くのに付いていくことにしたわけです。一つは大妻文化大学で、パンフレットを送ってきましたから、添付しました。

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Suquamish Indian

14976 Sandy Hook Road Poulsbo WA に、キアナロッジという結婚式場があります。そこで、7月20日に姪が結婚式を挙げました。 キアナロッジは、Suquamishというインディアンの部族が、自分達の文化を他の人に知ってもらうことと、そこを結婚式場として使ってもらうために2年前に作りました。そのすぐ近くには、Clearwater Casino and Resortがあり、そこには名前からもわかるように、独立したカジノ用のビルと駐車場を挟んでホテルがあります。 結婚式に参列したのはフィラデルフィア、シアトル、ハワイからの150人あまりでした。その中に我々もいましたが、全員がそのホテルに泊まり、結婚式に臨み、暇な時間にはカジノでギャンブルを楽しみ、ホテルからの海岸を臨む素晴らしい景色に時間を過ごしていました。 この地方は、Suquamishというインディアンの部族が、アメリカ連邦政府から居留区として領地権を保証されています。しかし、生活を支えていくための経済的な基礎も何もなく、ホテルの入口で泊まり客に挨拶をしていた歳老いたインディアンの女性が、「2年前まで、私達がこんなホテルの所有者になれるなんて想像もしていませんでした」と、初めて会った私に目を閏わせて話していた姿が今でも忘れられません。 部族のほとんど全ては、カジノ、ホテル、ロッジで職場を得ています。これが出来るまで、海で魚を捕ってシアトルに売りに行くだけが収入源でした。金持ちになった訳ではないけれども、安定した仕事を得たことと、政府からの援助金に頼らなくてもよくなったことが一番嬉しいことでした。その女性の顔は心なしか誇らしげでした。この居留区はシアトルからフェリーで行くと40分、道路を使うと半島の先にあるために3時間から4時間かかります。

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カメハメハ・スクール入学基準は人種差別?(5)

新たな局面を迎えた裁判 その行方を探る

アカカ法案

アカカ法案は一九九九年に提出されて以来、その修正が続き、二〇〇五年に新規に提出された一番最近の形である。
 
目的

1) ハ ワイ原住民とアメリカ連邦政府の連絡協議会的性格をもつ
   「ハワイ原住民関係局」 を連邦政府内務省内に設置する、

2) ハワイ原住民問題に関わりのある連邦政府各局から構成される
   「ハワイ原住民連絡協議会」 を設置する、

3) ハワイ原住民の自治体を組織するためのプロセスを確立する。
 
アカカ法案はハワイ原住民が失った権利、権益に対してその賠償を求めるものではなく、飽くまでハワイ原住民とアメリカ連邦政府との政府間の関係を明確にするための道付けを作ることのみを目的とする。 Continue reading

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カメハメハ・スクール入学基準は人種差別?(4)

 新たな局面を迎えた裁判 その行方を探る

ハワイアンに対する法律問題-悉く敗訴
ハワイアンの権利に翳り

 
 ハワイアンに対する「人種差別」を理由にした告訴は、カメハメハ・スクールの入学基準が初めてではない。
 
 実際現在でも、OHAやハワイアンに住宅を提供することを目的としているハワイアン・ホームランド局は特定の人種に恩典を与えている政府機関であり、アメリカ合衆国憲法違反であると主張する 「アラカキ対ハワイ州政府」 の裁判が続けられている。
 
 OHA-オフィス・オブ・ハワイアン・アフェアーズ-ハワイ原住民局は、一九七八年のハワイ州憲法会議で新設されることになり、一九八〇年発足した。ハワイアンの血を引く九人の理事が、ハワイアンであることが確認された5万4千人の投票で選出された。ハワイ州政府の部局として「ハワイアンの生活・文化などの改善」を目的とし、ヨーロッパ人との大掛かりな接触のきっかけとなったキャップテン・クックのハワイ到着の年、一七七八年にすでにハワイに住んでいた人の子孫をハワイ原住民とみなし、原住民のみが立候補・投票権を有すると同時に、OHAのサービスの恩典が受けられるとした。そのための資金は、アメリカ連邦政府が一時所有権を確保した元ハワイアン王朝の持つ土地で、現在はハワイ州政府が使っている土地からあがる収益の二〇%の提供を受け、OHAの運営やハワイ原住民への援助とすることになっている。 Continue reading

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カメハメハ・スクール入学基準は人種差別?(3)

新たな局面を迎えた裁判 その行方を探る
 
チャールス・ビショップ
カメハメハ・スクール実現の立役者
初代理事長

 
 十八歳のバーニスと結婚し、三〇年の結婚生活はもとより、ハワイのリーダーの一人になっていたチャールス・ビショップ氏は妻の遺言に従い、カメハメハ・スクールの初代理事長として、一八八八年十二月 カメハメハ・スクール創立を宣言した中で、「妻バーニスの意思に従い、ハワイアンが生存競争の世界で生き残る機会を提供するため、ハワイアンの教育を優先する」 とし、一八九七年二月十一日付けの手紙では、「バーニス・ビショップ王女の遺言では 「白人の子弟の入学を拒否しているわけではない」 としながらも 「入学はハワイアンの血を持つ子弟に限ることを理事会で合意している」 とした。 Continue reading

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カメハメハ・スクール入学基準は人種差別?(2)

 
新たな局面を迎えた裁判 その行方を探る

カメハメハ・スクール即時再上告
三人の判事から十一人判事へ

 

 第九巡回上告連邦法廷の裁判は三人の判事が担当する言わば略式裁判で、しかも二人の判事が前判決破棄、一人が前判決支持の決定だった。カメハメハ・スクールは判決が発表された直後、十一人の判事出席による「エン・ブランク」と呼ばれる裁判を要求した。三人の判事による決定の見直しが行われるが、ジョン・ドウ側の弁護士は、8月18日から始まる学校にジョン・ドウが登校できるように要求をだし、カメハメハ・スクールの理事会は即座にその要求を拒否する旨裁判所に通告した。 Continue reading

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カメハメハ・スクール 入学基準は人種差別?(1)

 
新たな局面を迎えた裁判 その行方を探る

アメリカ合衆国憲法に違反 第九連邦上告巡回裁が判決

 カメハメハ・スクールへの入学基準で、ハワイ原住民の血を持たないものを認めないのは、人種差別を禁止しているアメリカ合衆国憲法に違反している-第九連邦上告巡回裁判所8月2日、サンフランシスコの第九連邦上告巡回裁判所の判決は、ハワイアンのみならず、ハワイに住む全ての人々にとっては、白人社会の、何事にも黒白をつける倫理、法体系の津波が押し寄せてきたかの印象を受けた。

 ニュースは 「ハワイ王朝を崩壊させ、土地を取り上げ、ハワイアン文化を拒否した白人アメリカが、ハワイアンにとっては、最後に残されたよりどころをも取り上げようとしている」 と反乱前の混沌と興奮状態とでも思わせる反発の声を起こさせた。 Continue reading

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出会いの場である 「大都市の外見を持つ田舎」 ハワイ

 日本を離れて、もう、30年になろうとしている。当時を思い起こすと、1973年、家内がハワイ大学に新設された「法律大学院」に行くことになった。「俺もアメリカに行かなければ、新婚早々別居」の瀬戸際に立たされた俺が、フルブライト委員会からフェローシップをやるから、アメリカの大学へ教えに行くようにという連絡を受け取ったときの嬉しさは、「これで、夫婦別々」 しなくても済む、という誤解に基づく思い込みだった。結局、家内はハワイ、俺は海の向こうの~日本からハワイよりも、もっと遠い~ マサチューセッツ州アムハーストに落ち着くことになった。

 1974年には、ハワイに移って、夫婦が再び合流すれば、当然の結果かもしれないが、1975年、長男の誕生となった。アメリカは家内が法律大学院を終わるまでの3年間と予定していたものの、息子の出現が、夫婦と子供一人の生活を、ハワイに定着させることになってしまった。娘が生まれ、四人家族となり、日本語を外人みたいに話す子供たちを見ながら、俺の墓はハワイに決まったな、と観念した次第。 Continue reading

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