カメハメハ・スクール入学基準は人種差別?(2)

 
新たな局面を迎えた裁判 その行方を探る

カメハメハ・スクール即時再上告
三人の判事から十一人判事へ

 

 第九巡回上告連邦法廷の裁判は三人の判事が担当する言わば略式裁判で、しかも二人の判事が前判決破棄、一人が前判決支持の決定だった。カメハメハ・スクールは判決が発表された直後、十一人の判事出席による「エン・ブランク」と呼ばれる裁判を要求した。三人の判事による決定の見直しが行われるが、ジョン・ドウ側の弁護士は、8月18日から始まる学校にジョン・ドウが登校できるように要求をだし、カメハメハ・スクールの理事会は即座にその要求を拒否する旨裁判所に通告した。

 カメハメハ・スクールは、これからの再上告審でカメハメハ・スクールの入学基準を 「抑圧された少数民族のアファーマティブ・アクション」として主張するか、又は、「連邦政府とハワイアンの政治的な特殊性」 として主張するかの選択を迫られている。

 いずれにせよ、しかし、バーニス・パウアヒ・ビショップ王女の遺言状の解釈は一つの鍵になることは明らかであり、上告審では当然、カメハメハ・スクールを遺言したバーニス・パウアヒ・ビショップ王女の遺言状と王女の夫で初代理事長となり、実際に学校を作り、理事会の昨日を整備したチャールス・リード・ビショップの意見、更に現在、議会で審議が続けられている 「アカカ・ビル」 が話題の中心となる。

以下、バーニス・パウアヒ・ビショップ王女、並びにその遺言状を考察する。

バーニス・パウアヒ・ビショップ王女
カメハメハ王最後の直系

 一八三一年十二月十九日、アリイ・アブナー・クホオヘイヘイパフ・パキを父、プリンセス・ローラ・コニア王女を母として生まれた。子供に恵まれなかったことから、カメハメハ大王の直系の最後の曾孫となり、しかも遺言でカメハメハ・スクールを創立し、全ての遺産を教育に使うことを言い残したことから、ハワイ王朝を始めたカメハメハ大王、ハワイ王朝の最後となったリリウオカラニ女王と並び賞されている。

 ハワイ王朝の皇族、貴族の間では、王位を直系で継承することを目的として、兄弟姉妹、叔伯父・叔伯母等の間での養子縁組が複雑に行われていた上、兄弟姉妹、親子などの婚姻が普通にあったことから、家系図も複雑に入り乱れている。

 バーニス(一説ではバーニスという名前もベアトリスと書かれているものもある)も一人っ子ではあったが、生まれるとほとんど同時に、ハワイ王朝の最後の女王となったリディア・カメハメハ・リリウオカラニの母、プリンセス・キナウの養子になった。

 家系図上では、バーニスとリリウオカラニ女王は姉妹であったことになる。しかも、一八六三年王位を継承したカメハメハ五世(ロット・リホリホ・クプアイア)の許婚になっていたが、一八五〇年、バーニスが一八歳の時、ニューヨークからハワイに来たチャールス・リード・ビショップと家族中の反対を押し切って結婚した。その時、チャールスは二八才だったという。

 一八六三年、バーニスの許婚だったロットが王位を継承し、カメハメハ五世となった。しかし、カメハメハ五世は結婚もせず、子供もいなかったことから、一八七二年、結核で回復の望みがなくなっていたころ、かつての許婚であったバーニスをベッド脇に呼び王位継承を希望した。バーニスはこれに答えて「女王として国民を支配するより、国民の僕でありたい」と、女王になることを拒否した。

 そのころ、バーニスはすでに両親からの遺産として一万六千エーカーを所有していた。バーニスの所有する土地は、その後、従姉妹にあたるプリンセス・ルース・ケエキコラニが全ての遺産をバーニスに残した。その結果、バーニスはハワイ諸島の一七%にあたる三十五万三千エーカーの土地を所有することになった。

 一八八七年、バーニス・パウアヒ・ビショップは乳癌でこの世を去った。その遺言のなかで、遺産は学校をつくり、運営していくために使うようにと言い残している。四〇ページの手書きの遺言は今も州政府の歴史的重要文献として保存されている。

 
遺言
 
私、チャールス・R・ビショップの妻、バーニス・パウアヒ・ビショップは、以前に私の書いた全ての遺言を破棄し、最後の遺言として、これを残す。

第一章から八章:友人、親戚などへの現金や住宅などの贈与。

第九章:夫のチャールス・R・ビショップにモロカイ・ランチ、私が両親から贈与された土地、ワイキキのカピオラニ公園までの道路の海側の土地を贈与する。

第十章:エンマ・ストリートにある土地、建物はクイーン・エンマに。

第十一章:カワイアハオ教会の修理・改築費用として、5千ドル。

第十二章:カワイアハオ女学校の拡張費用に5千ドル。

第十三章:上記の遺産配分の残りでトラスト(財団)を作り、トラストはそれぞれ寮のある男子校と女子校を創立し、カメハメハ・スクール(複数)とする。
 
 トラストの理事はトラストから得る収入の半分以下の費用で、適当な場所を選択した上で校舎など学校施設、備品を整える。
 
 理事は残った土地を使って収入をあげ、その一部は学校のメインテナンスや先生の給料など必要経費にあてる;その収入の一部は特にハワイアン又はハワイアンの血を一部持つ孤児や恵まれない子弟の福祉並びに教育に使う;年収の何割をそれぞれの目的のために使うかは、理事の決定に委ねる。

 理事は英語、道徳、創造性豊かな人格構成に役立つ知識を与える教育することを目標とし;その目的達成に補助となるさまざまな教科を教える。

 理事は学校運営に必要な校則を設け、生徒の入学の基準を設定し、並びにそれを変更する権威を付与する。決定は過半数を必要とする。

 理事会は一年の支出、所有している土地、投資の内容を最高裁判所に報告し、ホノルルの新聞で公表する;又災害に備え、再建できる費用学の保険に加入する。

 本校の教師はプロテスタント系キリスト教徒でなければならない。

 第十四章:上記の方針を実施するための理事として、夫のチャールス・ビショップ、サミュエル・ダーモン、チャールス・M・ハイド、チャールス・M・クック、ウイリアム・O・スミスを指名する。

 全ての決定は理事の過半数を必要とし、少なくとも三人の合意を必要とする。
 
 理事会のメンバーは五人とし;欠員が発生した場合、最高裁判所判事が過半数の支持を以って補充する。理事はプロテスタントであること。
 
第十五章:クイーン・エンマには上述のお贈与に加えて、オアフ刑務所の近くにあるフィシュポンドをその生存中贈与する。
 
第十六章:夫のチャールス・ビショップには私個人の所有物並びにモロカイの牛全てを贈与する。
 
第十七章:夫のチャールス・ビショップとサミュエル・ダーモンを本遺言の執行人に指名する。

1883年一〇月三一日。

バーニス・P・ビショップ (印)

 第九連邦上告裁判所で「バーニス・ビショップの遺言のなかで、入学をハワイアンのみに制限する意図は見受けられない」としているが、遺言の第十三章の解釈がその鍵を握っている。

 第十三章:上記の遺産配分の残りでトラスト(財団)を作り、トラストはそれぞれ寮のある男子校と女子校を創立し、カメハメハ・スクール(複数)とする。
 
 トラストの理事はトラストから得る収入の半分以下の費用で、適当な場所を選択した上で校舎など学校施設、備品を整える。

 理事は残った土地を使って収入をあげ、その一部は学校のメインテナンスや先生の給料など必要経費にあてる;

 その収入の一部は、特にハワイアン、又は、ハワイアンの血を一部持つ孤児や恵まれない子弟の福祉並びに教育に使う;

 年収の何割をそれぞれの目的のために使うかは、理事の決定に委ねる。

「ハワイアン」 の 「孤児や恵まれない子供たち」に収入の一部を使うとはしているが、カメハメハ・スクールの入学者を 「ハワイアン」 に限るという言葉は見受けられないのは事実である。バーニス・ビショップの遺言の執行者であり、カメハメハ・スクールの理事に指名された夫のチャールス・ビショップがその鍵を握っていた。

(つづく)
 
 

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