漢文や漢詩の和訳あるいは和風読みはしばしば眼にします。眼にするどころか、高校時代の漢文の授業では多い鍛えられたものですが、和歌の漢訳なるものを今回はじめて知りました。遣唐使の一人安倍仲麿の詠んだ和歌が漢訳されて、現在の西安(かっての長安)の中心にある公園に建つ仲麿公の記念碑に刻まれているとのことです。
その和歌とは百人一首でもおなじみの
『天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも』
記念碑に刻まれている漢訳は
『翹首望東天 神馳奈良辺 三笠山頂上 想又皎月円』
それを更に和訳すると
『首(こうべ)を翹げて(あげて)東天(とうてん)を望む
神(こころ)は馳す(はす)
三笠 山頂の上
又、皎月(こうげつ)の円(まどか)なるを想う』
元となった和歌とその漢訳を和風読みにしたものを比較して直ぐにわかるのは、漢訳には『天の原』の語句がない事です。つまり、和歌を詠む上で大切な約束事であるかかりことばは和歌が日本語以外の言語に訳されると消えてしまうということですね。