Violin弾きのお美っちゃん~40

いつの日か紅葉を……


オアフ島の気候は大きく分けて10月から3月までが雨期、4月から9月までが乾燥期といわれる。

だが実際は10月も夏で、11月から先は秋のような冬のような微妙な気配を感じさせながら、秋にも冬にもならずに夏は続いていく。9月という月は、気象上の理由か、私が秋の気配を期待しているせいなのかわからないが、1年中で一番暑く感じる。

ハワイに住んでいて懐かしく思うものに、紅葉がある。ハワイの樹木で色づくものは少ない。この暖かく穏やかな気候を喜ぶ一方で、季節が秋に向かい始めようとする時、かつて経験した四季の移りゆく日本の風情を、もう一度思い起こそうとする。

あやふやなものでありながら、一掴みされた印象を心の中で味わおうとし、更にはそれをもっと美しくして見てみたいという憧れにもなる。だが、そんな淡い想いは、日々の現実にかき消される。

顔は刺すような強い日差しに晒されて日焼けをし、足の甲にはサンダルの跡が染み着いた。そして長い夏は疲れとなって溜まり、昼下がりには眠気を誘われる。私は夏休みをしなかったが、この快いまどろみこそが私にとっての休暇。

ハワイの友人知人らはそれぞれに夏休み休暇を取り、しばしこの島を離れて行ってはまた戻って来るのだった。

「どうだった、旅行?」
「うん、とても楽しかった。でも帰ってくるとほっとする」という。

9月になってもまだ夏休みをしている人もいる。仕事をして、くつろげるハワイを休暇地に選ぶ。彼らは張り詰めたタガを緩めるためにハワイへやって来る。

タガは外れてはいけないが、緩めるのも容易なことではない。休暇と商用を兼ねての旅行者は仕事のことが頭から離れないだろう。仕事をひと区切りつけて鋭気を養おうと、思い切って休暇を取ったという人も、「あの件は大丈夫かなあ」「あの顧客はどうなったかな」と心をよぎるものだ。仕事の心配は尽きることがない。

そして、ハワイの雰囲気に浸ろうとカジュアルな服装になりゴムゾーリを履いてみるのだが、心はまだ仕事の余韻に引っぱられている。何とももどかしい。

ある知り合いの日本人男性は、ついに、「今日から1週間仕事のこと、わーすれた!」と大きな声で宣言した。すると彼の顔つきは変わり、活力をみなぎらせ、かつ紳士的に、ハワイに身をまかせたのだった。

そして帰国当日、飛行場での別れ際に、「非常に密度の濃いハワイでした」と言う表情には新たなエネルギーを秘めているように見えた。帰国後待ち受けている仕事の山が待ち遠しいようでもあった。

ハワイでの休暇は、それぞれの人の体内で、生き生きとした燃料となっていくのだろう。それは過去に向かっての懐かしむものとしてだけでなく、ハワイを去った後も、現在と未来に向けて、心の中で呼吸し続けるだろう。そうあって欲しいと思う。

8月も終わりに近い日曜日の午後、私は小さな旅をした。友人の誕生日祝いを砂糖きび列車ですることになり、ホノルル中心部から車で西へ40分程、エヴァというところへ行った。

町中の喧騒から離れたエヴァは、同じ島でありながら、もっと遠いところへ来たように思えた。私は緑の街から、乾いた黄色い土地に来ていた。

エヴァにはかつて砂糖きび列車として使われていた歴史ある線路が今も残されている。駅には当時使われていた列車が西日に照らされていた。近くには、窓ガラスも壁もぼろぼろに崩れ落ちた大きな砂糖きび工場跡があった。

私たちを乗せたトロッコのような窓のない列車は、岩地一面に生えた枯れ草の真ん中をまっすぐ走って行った。100年前、列車の走る両脇には、今は名も残されていない大勢の人々が体を枯らして働いていたのだ。そしてハワイを育てた。

懐かしむものは過去にあるとしても、日々に接する人々や先人たちへの私たちからの感謝は、過去も現在も未来も変わらない。

そう思い当たると、人生の中で出会う「心のパートナー」と呼べる人々から、私たちは実に多くのものを与えられ、そして育てられていることに気付かされる。少なくとも私自身はそうだった。

そして、憧れは未来にあるように感じる。だから、探している紅葉は、いつか見たいと思い続けるものなのだろう。

(毎日新聞USA連載)


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