Violin弾きのお美っちゃん~38

プカと穴の違いは……


ホノルルの上空に穴があいて、そこに鉄の重しがぴったりとはまり、風が止ることがある。

無論、空に穴があくはずもなく、そこに鉄の蓋がされることはないのだが、そんな感じがする天候が続いている間、人々は「蒸し暑いですねえ」「ほんとうに」と挨拶を交わす。

「ぽかっ」とあいた穴に封じ込められた湿気の塊は、しかし、そう長く続かないので、ただひたすらに風が吹くのを待つ。すると、風は必ず戻ってくる。数日後、山側からワイキキの海岸に向けて風が流れ出す。

「蒸し暑いですねえ」のお決まり文句から解放され、天空の穴に詰まっていた湿気の塊が消えて、そこが元の青空で埋め尽くされる。人々はほっと一息つく。

「穴」のことをハワイ語では「プカ」という。道のデコボコのへこみも、耳の穴も、ボタンの穴も、みんなプカ。何となくかわいい名前なので生き物みたいだ。道で「あそこにプカがある」などといわれると、それは単なる「穴ぼこ」ではなく、もっと親しむべきものがあるように思える。

40年程前、私がまだ子どもの頃、日本の道路はデコボコしていた。雨が降ると水溜まりが出来、そこを車が通ると泥水を跳ねた。デコボコ道を走るバスは上下に揺れて私はいつも酔った。今では昔のような穴ぼこはなくなったが、都会では歩道の段差や階段が多くて町全体がデコボコしている。

実は、オアフ島の道も平らではない。ホノルル中心部の道路にもプカはあちこちにある。雨が降ると道路脇には水溜まりが出来、横断歩道で信号待ちをしているとプカの溜まり水を飛ばされる。

それでも歩道は車椅子を走らせるに足りる幅と適当な傾斜があり、横断歩道から歩道へ、歩道から店へと、ひとりで移動することが出来る。

郊外の家々は地形に無理強いすることなく建てられている。当然、坂道や階段が多く出来るが、それを心地よい抑揚とさえ感じる。人間や動物が怪我をしなければ大自然が創造したプカに人工の手を入れ過ぎない方がよいと思う。とはいえ、私自身は上ったり下ったりする山登りの類は好きではないのだが。

愛犬ドルチェと暮らすようになってから特に、「平ら」を心がけるようになった。無防備な姿で寝転がっているドルチェを蹴飛ばしたり踏ん付けたりしないように、摺り足で歩く。段差のあるベッドやフカフカ布団は危険だ。平たく言えば「せんべいぶとんが理想的である。

このままでは私の足腰はだんだん弱り、今に重い足は持ち上がらなくなり、ほんの少しのプカにつまずいて転び、骨を折り、寝たきりになるかもしれない。そうなったら車椅子でひとりで出かけられるように、プカのない道を望みたい。

私は大きな病気をしたことがない。子どもの時にへんとう腺の手術を2回した。7年前には奥歯の歯根の治療をしたが、口が小さいので1時間以上も口をあけているのは辛かった。唇は裂けそうになり、顎ははずれそうになり、呼吸も苦しくなった。手術と名のつくものはそれだけだが、いずれも口というプカだった。

人様の前で無用に口を大きくあけるのははしたないと思うのだが、あくびは思いっ切りしないことにはまたもうひとつ出てこようとする。これは仕方がない。存分にプカをあけるのが望ましい。

3カ月程前に喉が痛くなったのでかかりつけのお医者さんへ行った。私はいつものように百年の恋も覚めてしまうほどに頑張って口をあけた。小林医師はライトで喉を照らして覗き込み、続いて、その日来ていた医療研修生にも見るように促した。研修生が目の前に来た。

するとなぜか私の口は自動的に閉まり、同時に「あっ」という声が聞こえた。医師が目を丸くして「はい、もう一度」とやり直すと、口はまたあいた。今度は研修生がさっきよりも素早く駆け寄ってきた。瞬間、またも口は閉じられた。そして、もう一度口が開くと、「嫌だ!」と口走っていた。彼らは苦笑して諦めた。私も不思議だった。

その日家に帰ってから考えた。確かに研修生にいじわるをしたのではない。たぶん、今しがた会ったばかりの、一言も言葉を交したことのない人に、いくら診察室とはいえ簡単にプカを見せられなかったのだ。それでも、「いつも親切にしてくれる小林さんに悪いことをした」と、少しだけ反省をして、3日後の再診の時には、研修生にも積極的に赤い喉を見せてあげた。診察室の私たち3人は、それぞれに満足した。

そう、「穴」と「プカ」は違うのだ。「プカ」はただの穴ぼこではない。「プカ」には、人を愉快な気持ちにさせる妖精が住んでいるに違いないのだ。そして私は、恥ずかしいことを言ったり、したり、書いたりする度に、「プカ」に入りたくなるのである。

プカの中は居心地が良さそうだ。

(毎日新聞USA連載)


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