Violin弾きのお美っちゃん~37

耳をすませば……

京都は大学生を大事にする土地柄だった。伝統を大切にする古都だが、古い因習に引き込まれない自由さもあった。京都市立芸術大学を卒業してから数年後に京都で結婚し、ハワイに移り住むまではずっと京都で暮らしていたことは以前にも書いた。

その当時のこと。夫の母、つまり義母は京都生まれ京都育ちの京都人だった。ある日、「美智子さん、うち、御飯食べの集まりがあるし連れて行ってあげる」と誘われた。義母の所属するグループの食事会について行った。料理屋の座敷には、すでに年配のご婦人たちが座っていた。

そして私たちは、「どうぞ、どうぞ、こっちにおこしやす」と、席をすすめられる。義母は、「いやあ、そんな、厚かましいわあ。晴れがましい」と、一旦、遠慮する。

それからもう1度2度とすすめられてから、「いやあ、そうどすか。ほな厚かましゅうに呼ばれよか、美智子さん」と「すっすっすっ」と早足に席に歩み寄る。私はついて行く。すると私たちはいつの間にか「いいお席」に鎮座していた。ということが何度かあった。

「いやあ、厚かましいわあ。ほな、呼ばれよう」ということばを何度も聞いているうちに、私はだんだんこの台詞が好きになっていった。今でも誰かと京都の話になると、京都人でない私は大好きなこの台詞を入れて「京都人」を演じてみせる。これはアメリカ人には不思議がられるが、京都人でない日本人には受ける。

いつか義母のように言ってみたいと思うのだが、実際の状況の中では言えるものではない。歴史、習慣、暗黙の約束事、話す人のキャリアや性格も相俟ってこそ、絶妙の面白みと効果が出るのであって、言葉だけを真似ても「絶妙」ではないことはわかっている。

京都の人が「かまへん、かまへん」と言ったとする。安心してはいけない。あとで、「いやあ、あの人、厚かましい人やわあ」の一言がつくと推測していいだろう。

ハワイの人が「いいよ、いいよ。気にしないで」と英語で言ったとする。気の弱さからそう言っていることがあるが、「厚かましい」と負担に感じる時には、「気になる」と言ってくる。それに、何が気になるかを遠慮がちに伝えてくる。風通しがいい。

日本人の血を持つ日系アメリカ人は、生まれ育った過程で祖父母の話す日本語を耳にしていたり、子どものころ日本語学校に通っていたりということもあって、多かれ少なかれ日本語のフレーズに親しみをもっている。

若い世代の人たちは、祖父母から聞き覚えた日本語は現代の生活にはそぐわなくなってきていることに気付いている。彼らは日本人が話す砕けすぎた日本語を聞き覚えて、さっそく使ってみようとする。そんな時私は、「その言い方はあなたにはふさわしくないわね」と言うことがある。

ハワイで生まれ育った日系人女性に、現代の日本で次第に使われなくなっている美しい日本語を話す人がいた。エミーさんと話をしていると「ハワイの宝石箱」に何十年もいた人と話しているような空想が廻った。まだ50歳代で突然亡くなったエミーさんは、私の思い出の中の宝石箱に入って行った。

夫と私がハワイで「何か新しいこと」を始めようとしていた十数年前の年の夏、義母が来た。ワイキキを歩きながら、「美智子さん、ハワイの人に役立つことをしいや」と義母は言った。私は舗道の熱気に当てられてボーッとする頭で聞いた。そして、「まだ何も見えない時にこそ義母は信じようとしてくれているのだ」と感じた。

その人だけのもの、その人自身から出た行動や言葉は生き続けている。義理の母もすでに亡くなっているが、「いやあ、厚かましいわあ」の演技をする度にその存在を感じる。「おふくろ、いつもそうゆうとったなあ」と、夫も大笑いする。

新婚さんだったジェームズ・アラシッチさんとトモコさん夫妻とは、ちょうど1年前に出会った。ジェームズさんはがんを患い車椅子を使っていた。昨年の秋、2人は日本に住むトモコさんの両親を訪ねて行った。それからしばらく連絡がなかったが、最近思いがけず、トモコさんから手紙が届いた。

……「ジェームズは昨年のクリスマスの日の夕刻、本当に眠るように永遠の安らかな世界へ逝きました。彼の白い遺灰は、大好きだったハワイ島のコナの友人のフィッシングボートから朝陽のさす時刻、海へ還っていきました。彼は今、美しい海にいます」……朝顔の便箋に、そう綴られていた。

今はなき人々の言霊は、地に、空に、海に向かって、メロディーのように流れている。そして、地からも、空からも、海からも、忘れ得ぬ人の声は還ってくる。ふとそんな気がした。

(毎日新聞USA連載)


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