Violin弾きのお美っちゃん~30

青いパパイヤは……

4月になりハワイはだんだん暑くなってきた。そして、これからもっともっとハワイらしい色調が濃くなっていく。空と海の「青」も、雲や船の「白」も鮮やかさを増す。街路樹の、黄、橙、桃色の花々は風に揺れて青空に遊んでいる。平和……だ。

3月に、アメリカの軍関係に勤務する知り合いがイラクへ行った。「いつハワイに戻れるかわからない」と彼は緊張気味に微笑んで、その夜ハワイを発った。その時私は「戦争」という湿気を含んだような重苦しさを身近に感じた。

そんな重苦しさを写し出すような、蒸し暑い春の嵐の一夜があった。そして、翌日はまたからりとした青空に戻っている。風が強く吹いてよく晴れた日のホノルル。目に見えないさまざまな植物の花粉が、空中を飛びかっているらしい。

友人のセラは、「きょうはいいお天気で風があるから花粉症なのよ」と、いつもの柔らかい笑顔が少しだけ曇っている。内面から自然ににじみ出るセラの優しさには、力みのない強さが潜んでいる。それは10数年前から全く変わらない。

小さなかわいい家の外で「こんにちはセラ。いる?」と呼ぶと、少しだけ間をおいて「ハーイ、ミチコ」と、のんびりした声でセラが出てくる。するとそこから目に見えない「心の花粉」がいっぱい飛び出してきて、ふわりと包まれたような気分になる。

セラの心の内には目に見えない大きな住処があるように思えてならない。人を包み込む不思議な力がある。私が日本にいた時、「小さな家に住んでいたら人間が小さくなる」と言う人に会った。大きな家に住むその人の、人間が大きいかどうかは知らないが。

セラの家の前にはマンゴーの木がある。豊かに葉をつけたマンゴーツリーには、まだ青い実がいくつもぶら下がっている。実はぶら下がっているばかりでなく、寝癖のついた髪の毛のようにピンピンと上に跳ねているようなものもある。ユーモラスなやつだ。

玄関脇にはピンクのプルメリアの花。「プルメリアには毒があるのよ。花にさわるのはいいけれど、食べてはいけないし、もし花の汁が目に入ったらすぐにお医者さんに行かなくちゃいけないから気をつけてね」と教えてくれた。

「花粉症はマンゴーのせいじゃないの?セラ」と、私は少し警戒心を含んだ声で言った。以前、マンゴーを食べて口の縁が切れたので、つい他の人にもマンゴーを「悪者」にしたような口ぶりになってしまう。だが、幸い、セラとマンゴーは相性がいい。

マンゴーは、いろいろなデザートやお料理に変身するおいしい果物であって、決して悪者ではない。こくのあるその甘みはジュースやアイスクリームでも楽しめる。よく熟れた果実は魅惑的な味がする。

ナイフで皮をむいて、オイルのようになめらかな果肉を切っていくと、中心の大きな種に近づくにつれて繊維が荒くなる。ナイフがその荒い繊維に「がさっ」と当たる感触は、「それ以上近づいてはいけないよ」と告げられたように感じる。

マンゴーを食べてアレルギーが出てからというもの、私は何年も生のマンゴーを食べていない。もしかしてもう口は切れないのかもしれないが、今だに触れるのも躊躇してしまう。好きなのに相性が悪いとは何事においても悲しいことだが、悲しむことばかりではない。

パパイヤとはすこぶる相性がよい。だが、パパイヤに身も心も許すまでには幾度もの失敗があった。料理上手な人にしてみればごく常識的なことかもしれないが、そうでない私はそれなりの練習期間を要した。語るには恥ずかしいことなのだが。

スーパーマーケットの野菜売り場に山高く積まれたパパイヤは、時期によっては青くて固いものばかりだったり、黄色く熟れたものばかりだったりする。熟れたものは、ぐにゃとした部分がないかどうかを、くるくるっと撫でて調べる。これは難しくない。

青いパパイヤを買ってくると、台所のカウンターの上に数日間放っておく。そして、毎日パパイヤを観察する。すると次第に黄色味を帯びてくる。「そろそろ明日あたりには食べられるかしら?あと2日くらいかな?」と食べ頃を待つ。私は待ち切れない。

ついにパパイヤ全体が黄色くなったのを見て冷蔵庫に入れる。冷えたころに取り出して半分に切り、スプーンで薬のような丸い種をすくい出す。ここで私は何度がっかりしたことか。「もう1日だけカウンターの上に置いておけばよかった」と後悔した。

まだ果肉が熟し切っていなかった。それでも一口食べてみる。渋い。せっかく何日も楽しみに待っていたのに残念でならない。もったいないのでお皿に乗せたまま冷蔵庫に戻すが、果実はもう成熟しない。そして次の日、生気を失ったパパイヤは捨てられる。

青いパパイヤと付き合うには辛抱が必要だ。食べ頃はパパイヤが教えてくれる。パパイヤが黄色くなり、更に、深い黄味を帯びてくる。そこであと1日辛抱すると皮に汗をかいてくる。そうなればすぐに冷蔵庫に入れてよい。いつでも好きな時に食べられる。

ちょうどよく熟したパパイヤは冷蔵庫の中で、ふたたび私の手に抱かれる時を待っている。まるで、力まない自信を秘めて眠っている幸福な生き物のように。「ふわり」と人を包み込む、そう、セラの優しさに似ている。

(毎日新聞USA連載)


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