Violin弾きのお美っちゃん~23

垢を落とせば……

ホノルルのダウンタウンに、主にビジネスの人を対象に発行している新聞社がある。女性経営者のスージーは、ダウンタウンの中でしばしば事務所を移転している。従業員もめまぐるしく変わる。厳しいボスらしい。

私たちの事務所も11月に移転したので、スージーに電話をした。

「スージー、今のオフィスはどこなの?」と挨拶替わりに尋ねると、彼女はその意味を理解しているといったふうに笑いながら住所を言った。

ダウンタウンの中で、もっと居心地の良い場所が見つかったらまた移動するだろうと、私はいいかげんに聞いていた。が、「今のオフィスは人の行き来がよく見えておもしろいのよ」と嬉しそうな声でスージーは言った。するとしばらくはそこにいるかもしれない。

「私たちの事務所も引っ越ししたのよ。遊びに来ない?」と誘った。

「ありがとう。でも月曜から金曜までは仕事が詰まってるのよ。週末はマウイ島に帰ってるしね」
「マウイに?それは知らなかった。家族がマウイ島にいるの?」
「ううん私一人よ。家がマウイ島にあるから週末には飛行機で帰ってるのよ。
毎日の仕事はストレスでいっぱいだから、ホノルルを離れてゆったりとくつぎたいからね!」
「うん、わかるわかる。それはいいことね!」
「マウイ島には画家や彫刻家がたくさん住んでいるのよ。
芸術家が好む島なの。ミチコもいつかおいで。気に入るわよ!」
「そう?いつかいっしょについて行ってもいい?」
「うん、いいよ」…………

いつかマウイ島のスージーの家について行くということに話は決まり、電話を切った。

ホノルルの人々は忙しい。オアフ島の反対側に住んでホノルル市内に通勤する人も、毎日「えっちらほいさ」と運転しなければならないので疲れている。夕刻の渋滞した道路にイライラしても、郊外の家にたどり着くとまた気分が変わるのだろう。

年末年始は楽しい時期ではあるが、みんな疲れている。会社勤めの人も、経営者も、お医者さんも、新聞記者も、主婦も、みんな疲れている。

クリスマスからパーティー続きでおつきあいに忙しくて「休暇の行事で疲れたから、休暇の休暇が欲しい」と年の始めに言う人もいるが、スージーのような経営者は、即、何らかの処置を取るだろう。「楽しい!怖い!」が同時にやってくるようなものだ。

近ごろの日本は、暮れの大掃除や、年始の書きぞめはしないのだろうか。家の中は普段からそれなりにきれいにしているので、そんなことよりもお付き合いの方が忙しいのかもしれない。

私たちは事務所の引っ越しで10月下旬と11月初旬は大掃除だった。移転先は2筋ほど先で、同じ町内のようなものだった。「事務所風」から「長屋風」にパターンを変えるつもりだったので、金属性の事務机やファイルキャビネット類など多くの備品は、引っ越しを手伝ってくれた友人たちの組織に寄付をして喜ばれた。

それでも、古い箱や、キャビネットや、机の引きだしに詰め込んでいた古い資料や捨て惜しんでいたものを、保存と処分の仕分けをするのに時間を費やした。垢というものは、たまに洗い流さなければならないものだとつくづく思った。

あちらの引きだし、こちらの棚からは、色画用紙や種類の違う新しい紙類がたくさん出てきた。そんなものを一カ所にまとめてみると、使えるものが使われないままに眠っていることも実感した。

12月初めに、事務所移転のお知らせを兼ねて、少しばかり早めのクリスマスカードを作った。色とりどりの画用紙を選んで半分に切り、それをまた半分に折った。硯で墨をすり、筆で書いた。

ほんのりと立つ墨の薫りに心が落ちついた。アメリカにはない匂いだった。私は筆と遊んだ。書いていると、書き切れないたくさんの人たちの顔が次々に浮かんできた。そして、書けなかった人たちには「またね」と心の中でお詫びを言ってから筆を置いた。

部屋に残る微かな墨の薫りは、年の暮れの喧騒から一転した元旦の静けさのようだった。ゆるやかに流れる川の面のようでもあった。が、ふと気がつくと、表のカラカウア通りを行き来する自動車音が、妙に快活に鳴り響いてきた。

長屋風の新天地には「喧騒と静寂の世界」が同時に存在している。それも悪くない。

(毎日新聞USA連載)


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