Violin弾きのお美っちゃん~18

横綱の大きな母は……

左手でお箸を持って食事をしていると「あっ、左利きですか」と言われる。

ヴァイオリン弾きだと言うと「3歳くらいから始めたんですか」と聞かれる。

病院で胸のレントゲン写真を撮ると、医師は不思議そうな顔をする。

……私はそんな問いかけには頷かない。

いろいろな場面での小さなやりとり。心の中で用意されていた答えとは違う返答があると、人は、ほんの少しだけ騙されたような顔つきを見せる。

10歳のある時「もしも病気か事故で右手が使えなくなったら左手で食べよう」と思いつき、左手にお箸を持ってラーメンを食べた。その日以来、40年近くお箸は左手を使っているだけなのだ。

初めてお箸を左手に持つのに何の苦労もなかったので、もしかして元々両利きだったのかもしれない。「誰でもない。私自身が可能性を縛りつけていたのではないか」と思ったりする。

両手が不自由になった人が、口に筆をくわえ絵を描き作家になった。頷けることだ。今までの固定観念に縛られなければ、可能性への小道は見えてくるのだろうから。

それまで、自分が生きてきた小さな世界の標準から見て、身体がとてつもなく大きいというのは驚きであり珍しいことではある。ハワイに来るまでは、体の大きなポリネシアンやハワイアンの人たちは、テレビや刊行物で知るだけだった。

骨太はいかつい印象を、豊満は、もしかして、神経が鈍いという印象を与えることがあるかもしれない。実際に、その人を知らない限りは……。ところが、それがとんでもない固定観念であったことは、繊細で謙虚な人柄に触れた時に、柔らかな喜びによって簡単に打ち砕かれてしまう。

私の友人に約10年前からおつきあいをしている、とても体の大きい女性がいる。名をジャニスという。息子のチャドが大相撲の横綱になった時、「日本で有名になってお金をたくさん持つようになっても、質素な暮らしをしていたハワイでのことを忘れてほしくないのよ」と、厳しい表情を見せて、私に言った。

息子のチャド、つまりは曙関が横綱になる前も、なってからも、引退してからも、ジャニスの謙虚で質素な暮らしぶりや、人に対する温かい思いやりは変わらない。心から人が好きなのだ。

ジャニスは2カ月前に、物置で用事をしていて、うっかり釘の頭で右手の甲に小さな怪我をした。病院で治療をしたが糖尿病があるので薬が効かなかった。それで傷が悪化して手術をしなければならなくなり、家の近くの病院に数日間入院していた。

退院してからもしばらく包帯を巻いていたので、日常の雑事にも不自由をしていた。

「私は何でも右手で用をするから、困るのよ、不便だわ」と言っていた。

手術から1カ月後の日曜日に、私はもう一度ジャニスの家に遊びに行った。すると「やっと包帯が取れて右手が使えるようになったのよ」と嬉しそうに見せてくれた。右手の甲には手術の縫い目が痛々しく残っている。

「今、リハビリをしているから、だんだん以前のように動かせるようになってきたの。ハンドセラピストはハワイ州に2人しかいないから、患者さんが何人も予約待ちしてるのよ。だから予約は絶対にキャンセルできないの」とジャニスは言った。

……以前、「脳梗塞で右手が動かなくなった」と言う人に会った時に「右手はリハビリすればいいし、左手だって使えるのよ」と私は言ってあげたかった。が、言わなかった。もしそんなことを言えばお節介だと思われるだろうし、私はリハビリの専門家ではないので遠慮した。「リハビリをして右手が使えるようになったかしら」と、その人のことを思い出した……。

「まだ少し右手が痺れているの。フラダンスを踊る時に、微妙ななめらかな動きがまだ出来ないの」。そう言いながらジャニスはソファに深く腰掛けたままで、両手のそれぞれの5本の指を波だたせるようにしなやかに宙に踊らせて、微笑んだ。

彼女は今、自分のお店と趣味、孫や姪の子どもの世話に、忙しい毎日を過ごしている。気取らない家の中は、横綱だった息子や家族の写真がたくさん飾られている。

「横綱の母っていうことは時とともに忘れられてゆくから、私は、私の仕事や楽しみをしっかりとやって生きていたいのよ。私は人に会うのがとっても好きだからね」と言う。

ジャニスの人を包み込むような大らかな笑顔は、体の大きさからくるものではなく、聡明な内面から出てくるものだ。そして、その笑顔とともに耳にするさりげない会話は、接する人の心に小さな幸せを注ぎ込んでいる。と、私は感じている。

(毎日新聞USA連載)


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