Violin弾きのお美っちゃん2-2


リハビリとヴァイオリン


先日、日本のリハビリに貢献した大叔父のことを、長屋に書きました。そのあと、「うーん、美智子さんのアレルギーはコケ博士の流れであったのか、と納得しました。植物学者でリハビリにも貢献していらっしゃったとは稀有な方ですね。」と陽子さんからコメントがありました。そう言われてみると、どうしてリハビリに繋がったのか、気になります! 大叔父は、上村登(かみむらみのる)さんといいます。祖父の弟です。昭和56年(1981年)4月29日の、読売新聞、毎日新聞、朝日新聞、高知新聞の記事が、手がけた資料集に編集されているのを見つけましたので、リハビリに関する箇所を少し拾ってみます。それぞれの新聞は叙勲の際の同日のものです。

(読売新聞) 日本リハビリの恩人。
「昭和40年ごろ理学療法士を養成するリハビリ学校は東京と小倉の二か所しかなく、必要性の認識さえ薄かったとき、植物の国際学会で外国へ出かけて見聞したことがきっかけになったという。」

(毎日新聞) リハビリ充実に情熱。
「リハビリの言葉を初めて聞いたのは昭和37年、国際植物学会で渡英したとき。以来、欧米に出かけるたびにリハビリの言葉に出合った。米国で腰痛の老人がリハビリ施設に入院、回復する現場を目のあたりに見てショックを受けた。」

(朝日新聞) リハビリ医療に道。「日陰に光」コケの学究。
「中学時代から牧野富太郎博士の勧めで、当時はまだ未開拓の分野だったコケ類の採集、分類を手がけた。昭和37年には国内のヤスデゴケ科を調べつくして類型化に成功、理学博士となった。その業績が国際的に認められて海外の学会にも招かれるようになり、こうした機会が、コケの研究とは無縁なリハビリテーション医療に目を向かせることになったという。そして、イギリス、ドイツ、アメリカなどで充実した施設や必要性を見聞した。」

「リハビリもコケも、あの頃は世に知られない日陰のような存在だった。
それなら光を当ててやろうとしただけですよ」


(高知新聞) 「たいしたこともしてないのに、ありがたいことです」と、幼年時代から母の影響で大の植物好きだったことを語っています。その母とは私の曾祖母ということになりますね。。。遠い遠いお話しでした。

子供の頃、夏休みになると、上村のおじちゃんの家に泊まりに行き、母のいとこ達に遊んでもらいました。
ヴァイオリンを弾いてもらったり、リハビリの話やピカソのことを聞いたり、とても新鮮な気持ちでした。
飴玉のように甘い思い出。。。今、リハビリに携わる人達と係わり、そこで音楽することの喜びを味わっています。



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3 Responses to Violin弾きのお美っちゃん2-2

  1. YokoKelley's avatar YokoKelley says:

    美智子さんのアレルギーのみならずリハビリへの関心もコケ博士の大叔父さんから流れて来ているのですね。感動したのは、大叔父さんがリハビリに関心を持たれたきっかけです。やはりふつうの方ではありません。

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  2. YukiyoFujisaki's avatar YukiyoFujisaki says:

    大おじさまのおかげで今の私たちがある…
    上村さん、光をあてて下さってありがとうざいます。

    美智子さん、眼鏡までそっくりです!

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  3. scm's avatar MichikoNakamura says:

    もし病気や怪我でビハビリが必要になれば、回復の力を信じて頑張れると思います。でも私は我儘な患者になります。そうなれば、心に光を当てて病気の手当ての出来る医療者とともに歩むことを切に願います。回復の可能性の道に光を当ててくださった大叔父さん、ありがとう!!

    美智子

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