新たな局面を迎えた裁判 その行方を探る
アカカ法案
アカカ法案は一九九九年に提出されて以来、その修正が続き、二〇〇五年に新規に提出された一番最近の形である。
目的
1) ハ ワイ原住民とアメリカ連邦政府の連絡協議会的性格をもつ
「ハワイ原住民関係局」 を連邦政府内務省内に設置する、
2) ハワイ原住民問題に関わりのある連邦政府各局から構成される
「ハワイ原住民連絡協議会」 を設置する、
3) ハワイ原住民の自治体を組織するためのプロセスを確立する。
アカカ法案はハワイ原住民が失った権利、権益に対してその賠償を求めるものではなく、飽くまでハワイ原住民とアメリカ連邦政府との政府間の関係を明確にするための道付けを作ることのみを目的とする。
アメリカ連邦政府とハワイ原住民の現在の関係
アメリカ合衆国政府はハワイ原住民がハワイ諸島に生活する少数民族・原住民であることを認めている。特にアメリカ連邦政府はハワイ王朝との間に締結した条約で、ハワイ王朝がハワイ諸島の政府であることを認め、一九二〇年には「ハワイ原住民居住区委員会」法を成立させることによって、二〇三五〇〇エーカーを居住区と認定した。一九五九年にハワイが州になると同時に、「シーデッド・ランド・トラスト-ハワイ原住民が権利を有する分割領」を認定し、ハワイ原住民の利益のために使うことを法制化している。一九九三年には「ハワイ原住民に対する謝罪決議」を採択することによって、ハワイ王朝の崩壊を遺憾とするばかりか、アメリカ合衆国はハワイ原住民との関係改善の努力をすることを約束した。即ち、アメリカ合衆国はハワイ原住民を一つの独立した実体として認めている。
そこで、ハワイ原住民は連邦政府がハワイアンに権利があるとして認めている「ハワイ原住民居住区」と「シーデッド・ランド」を管理、所有する自治体を構成し、文化、伝統、慣習、言語を維持・発展させることを願うものである。
ハワイ原住民の定義
ここで問題となるのは、ハワイ原住民の自治体ができたとき、自治体のメンバーになれるのは「誰か」であろう。アカカ法案ではアメリカ合衆国が合衆国内に居住する原住民を少数民族と既定しているのに基づき、十八歳以上の少数民族で、一八九三年一月一日以前からハワイに居住する者の子孫、又は、一九二一年の「ハワイ原住民居住区委員会」法でハワイ原住民と認定された者を先祖とする者としている。
アカカ法案が成立したら、ハワイ原住民が自治を確立する道付けが行われることになり、カメハメハ・スクールの入学基準問題も人種差別ではなくなる。今まで敗訴の続いてきた 「ハワイアンの権利」 侵食にも歯止めが掛けられる。少なくとも自らをハワイ原住民と考えている人は全員賛成だろうと考えられていた。しかし、
アカカ・ビル反対
一番激しい反対は、他ならぬ、ハワイ原住民から出された。中でも、ハワイ国は一八九三年の反乱でアメリカ合衆国に盗まれたと主張し、ハワイの独立を目的とする運動を続けているグループは、アカカ・ビルではハワイ原住民が受けた損害の補償を求めることを完全に放棄していることから、ハワイアンに対する売国奴的行為であるとまで非難している。このグループは、ハワイの自治権はアメリカには所属せず、ハワイアンの所有が続いており、アカカ・ビルの成立は、ハワイアンが持っているはずの自治権をアメリカ合衆国に譲渡することを認めることになるとしている。
逆に、ハワイアンの血を持たないハワイ州民のなかでは、アカカ・ビルが成立すると、自治権を持ったハワイアンとそうでないハワイ州民との間に溝をつくり、ハワイを二分することにつながるとし、絶対反対の姿勢を崩す様子は見られない。反対の理由として挙げられている主張には:
1) アメリカ・インディアンは特定の(一般アメリカ人から隔絶した)地域に住み、その文化並びに政治的な単一性が認められるが、ハワイアンには地域、文化、政治的な単一性のいずれも認められない
2) 一九五九年にハワイが州に昇格したときの議会の統一見解では、ハワイ原住民がハワイ州民から分離された存在にはなりえないことを確認している
3) 人種を基にした自治体の構成はアメリカ合衆国憲法の基本概念である「法の下に平等」精神を冒涜することになる
4) 同じ社会に住む個人でありながら、ハワイ原住民であるか否かによって、違った法律が適用される混乱を招く
5) 土地の所有権をハワイアン自治体、州政府、連邦政府、それぞれが違った定義をすることになり、所有権を主張する訴訟を必要以上に招くことにつながりかねない。
アカカ・ビルが成立し、アメリカ・インディアンの自治体同様のハワイアン自治体が認められた場合、アメリカ50州の全てに40万人のハワイアン部族と確認される言わば二重国籍者が特殊な政治的権利を持ちながら存在することになってしまう。しかも、インディアンの自治体では、居住区に生活していることが自治体のメンバーであることの必要条件とされているのにもかかわらず、ハワイアンの場合、一八九三年一月一日にハワイに住んでいた原住民の血を多少にかかわらず引き継ぐものをメンバーとしているだけで、地域的、文化的、政治的な単一性の自治体としての必要条件を満たしていないばかりか、完全に無視している。特に、アカカ・ビルでは一八九三年にハワイアンが享受していた自治権の復活を主張しているが、当時は王制であり、一般住民には政治への参加は認められておらず、自治権があったのは女王だけであったわけで、アカカ・ビルの自治権復活は「王制」の復活に他ならない。
アカカ・ビルはハワイのアメリカ合衆国からの独立を目指すハワイアンのグループと特に白人を中心とする自治権確立反対グループに挟み撃ちにあっている。アカカ・ビル成立を後押しする中心グループは、OHA (ハワイ州政府の機関の一つである-ハワイ原住民局)、ハワイ州選出の国会上院下院議員全員、リンダ・リングル知事を中心とするハワイ州政府で、自治権確立のメリットを宣伝し、ハワイ州内での支持を集めると同時に、国会審議を前進させるために連邦政府並びに国会上院で指示獲得の運動を続けている。早ければ、11月終わりの感謝祭前に審議、採決が可能との見方もあったが、二〇〇五年議会中にアカカ・ビルが採択されることはなかった。しかし、ハワイ州選出のイノウエ、アカカ両国会上院議員が 「アラスカの自然保護地区での油田採掘許可」法案に反対の立場を採る民主党から離れ、共和党に合流する投票をしていたが、その裏には法案提出者で成立を推し進めていたアラスカのテッド・スティーブンス上院議員(共和党)並びにブッシュ政権がアカカ・ビル支持に廻るのと交換条件に共和党に組したものと見られている。
政治的な駆け引きが行われている中で、それでも二〇〇五年度中の成立は望めなくなった。ハワイアンの将来像を決めることになる「アカカ・ビル」の行方は二〇〇六年に持ち越されていく。
カメハメハ・スクール入学基準問題
カメハメハ・スクールでハワイアンの血を持たない者の入学を認めない方針が「憲法違反」であるとの連邦上告裁判所の判決を受けたことは、カメハメハ・スクールという一学校の問題ではなく、ハワイアンの歴史、文化、将来への問題の総括であるとみなす事ができる。
一九九三年、リリウオカラニ女王が無血革命で倒され、ハワイは共和国となり、その後、アメリカ合衆国の一部に編入されていく過程を見ることによって、なぜハワイアンが外界との接触が始まった二五〇年前から新しい血との混血を深めて行ったか、その中で、血の結束と自治権の回復を主張しているのかを垣間見ることができそうである。
中澤昭男