カメハメハ・スクール入学基準は人種差別?(4)

 新たな局面を迎えた裁判 その行方を探る

ハワイアンに対する法律問題-悉く敗訴
ハワイアンの権利に翳り

 
 ハワイアンに対する「人種差別」を理由にした告訴は、カメハメハ・スクールの入学基準が初めてではない。
 
 実際現在でも、OHAやハワイアンに住宅を提供することを目的としているハワイアン・ホームランド局は特定の人種に恩典を与えている政府機関であり、アメリカ合衆国憲法違反であると主張する 「アラカキ対ハワイ州政府」 の裁判が続けられている。
 
 OHA-オフィス・オブ・ハワイアン・アフェアーズ-ハワイ原住民局は、一九七八年のハワイ州憲法会議で新設されることになり、一九八〇年発足した。ハワイアンの血を引く九人の理事が、ハワイアンであることが確認された5万4千人の投票で選出された。ハワイ州政府の部局として「ハワイアンの生活・文化などの改善」を目的とし、ヨーロッパ人との大掛かりな接触のきっかけとなったキャップテン・クックのハワイ到着の年、一七七八年にすでにハワイに住んでいた人の子孫をハワイ原住民とみなし、原住民のみが立候補・投票権を有すると同時に、OHAのサービスの恩典が受けられるとした。そのための資金は、アメリカ連邦政府が一時所有権を確保した元ハワイアン王朝の持つ土地で、現在はハワイ州政府が使っている土地からあがる収益の二〇%の提供を受け、OHAの運営やハワイ原住民への援助とすることになっている。
 
 一九九七年、ハワイ島で牧場を経営するハロルド・ライス氏が、「一八〇〇年代からハワイに住んでいるライス家は自らハワイアンであると自認している。OHAの理事の選挙に投票権が与えられていないのは憲法違反である」と主張して、ハワイ州並びに当時のカエタノ州知事を相手取って裁判をおこした。
 
 第一審はホノルル連邦法廷のデイビッド・エズラ判事のもとで行われ、エズラ判事は「ハワイアンとアメリカ連邦政府の特殊な政治関係を認め、ハワイアンのみの投票によるOHAの理事選挙は合憲である」との判決を下したが、ライス氏はサンフランシスコの第九巡回連邦上告裁判所に上告、そこでも敗訴したあと、アメリカ最高裁判所に提訴した。

 二〇〇〇年二月二三日、連邦最高裁判所では「ハワイ州の政府機関であるOHAの選挙が特定の人種であるハワイアンのみの投票で行われているのは、人種差別であり、アメリカ合衆国憲法違反である」との判決をくだした。これでOHAの理事選挙にハワイアン以外のハワイ州有権者が投票権を持つことになった。ハワイアンのみを対象としたプログラムが人種問題と解釈された場合、憲法違反と判断される前例を作ったことになった。
 
 「アラカキ対ハワイ州政府」では、「ライス対ハワイ州政府」の判決が下った後、ケン・コンクリンという白人の男性がOHAの理事選挙の立候補届けの用紙を取りに行った際、ハワイアンではないことを理由に受け付けられなかったとして、「人種差別」の告訴状を提出したのがきっかけになった。その後、「ハワイアンのみを対象とする政府のプログラムは基本的には人種差別である」とする裁判となったが、立候補資格の問題は、ハワイアンのみの立候補資格は憲法違反であるとの判決が下された後、二〇〇二年の総選挙では、日系人のハワイアンの血を全く持たないチャールス・オータ氏がOHAの理事に当選した。これで、OHAに関しては、立候補も投票権もハワイアンでなければならない制限は姿を消したことになった。しかし、その後のアール・アラカキ氏など十三人の原告団はOHAのみならず、ハワイアン住宅局まで含めて、政府がハワイアンのみに恩典を与えるプログラムは全て人種差別であるとし、プログラム抹消を要求する告訴状を提出している。
 
 
カメハメハ・スクールの変革

 カメハメハ・スクール創立はチャールス・ビショップの指導力の賜物であると考えられるが、一八八七年創立以来、さまざまな紆余曲折を経験してきた。その中でも一九九七年にホノルル・スターブレティン紙が紙上に掲載した「ブロークン・トラスト」と題する四人のハワイアン問題に関する活動家共同執筆によるレポートは、それまでのカメハメハ・スクールの性格を完全に変えてしまう結果をもたらす事になった。
 
 一九九七年にカメハメハ・スクールを管理運営するビショップ・トラスト(財団)の五人の理事の理事の一人であったロケラニ・リンゼイ氏の強圧的な態度への不満に端を発した卒業生を中心とする不満は、その年の八月に「ホノルル・スターブレティン紙」が掲載した「ブロークン・トラスト-理事会の崩壊、信用失墜」と題する五人の著名人による小論文で完全にその姿を変え、「カメハメハ・スクール並びにビショップ・エステート」の抜本的改革に走り始めた。
 
 
「ブロークン・トラスト」を書いたのは、グラディス・ブラント-元カメハメハ女学院校長であり、ハワイ大学理事長、ウォルター・ヒーン-ハワイ州上告裁判所判事、州議会議員、ホノルル市議会議員、チャールス・ケクマノ-リリオウカラニ女王財団理事長、カトリック司祭、サムエル・キング-ハワイ州連邦地方裁判所主任判事、ランダル・ロス-ハワイ大学法律学校教授という錚々たるメンバーであった。「ブロークン・トラスト」では以下のような要求を出していた。
 

一、           ハワイ州検事総長並びに州最高裁判所はビショップ・トラストの理事の新しい選抜基準を
                  作るための「ブルー・リボン委員会」を設定する

二、            理事の任期を設定する

三、            ハワイ州議会は理事への報酬を決めなおす

四、            ハワイ州議会はハワイ州の財団の運営を管理する機関を作る

五、            ビショップ財団理事会は長期教育方針並びに財政計画を策定する

 

 「ブロークン・トラスト」発表後、五人のビショップ財団理事の運命は下降線の一路を辿ることになり、一九九九年には四人の理事が辞任に追い込まれ、二〇〇〇年には新しい理事の選抜が始められた。
 
 カメハメハ・スクールが変わり始めたことは、ハワイアンの自治権運動の活発化と相まって、ハワイ州民が新しい角度からハワイアン問題を見直すきっかけとなり、三つの大きな流れとなっていった。その一つはハワイアンのみを対象とする恩典に対するハワイアン以外の人種(特に白人系)からの人種差別非難、そして、ハワイアンをアメリカ大陸のアメリカ・インディアンと同様の関係をアメリカ合衆国との間に構築し、ハワイアンと連邦政府との関係を明確化していく運動、更に、一八九三年の議会による女王追放は違法行為としてハワイアンを中心とする国家再建である。

 その動きの中で、カメハメハ・スクールの入学基準違憲判決から、ハワイアンの権利が済崩し的に奪い去られようとしているという印象を受けたハワイ州民が多く、ハワイアンと連邦政府との関係を明確化させることを目的とし、一部自治権を持つことを究極の目的とするアカカ・ビルが注目を集めることになった。特に、関係者の多くは、アカカ・ビルはハワイアンの問題が「人種問題」ではなく、「政治問題」であることを保証することになり、例えば、カメハメハ・スクールの入学基準問題も人種差別・憲法違反という解釈を受けないようになると主張している。
 
 
アカカ・ビル-アメリカ連邦政府によるハワイアン自治体承認法案

 カメハメハ・スクールの入学基準が憲法違反であるとの判決が下された理由が人種差別であると判断されたことからだったことから、アカカ・ビル支持者の間では、アカカ・ビルさえ成立していたら、ハワイアン問題は人種問題ではなく、政治問題であると認識されることから、人種問題は根本的に解決されるというコメントが出された。カメハメハ・スクールの入学基準問題が俄然ハワイアンの自治問題に発展することになったことになる。
 
 アカカ・ビルは奇しくもカメハメハ・スクールの理事総入れ替えが起こった二〇〇〇年にハワイ州二人の国会上院議員の一人、ただ一人、ハワイアンであるダニエル・アカカ上院議員から提出された。すでに数回の修正を経た後、間もなく上院本会議で採決されることになるが、お膝元のハワイ、並びにハワイアンの間からも反対意見が多く、不透明感が漂っている。
 
 二〇〇五年五月に第十九回上院議会に提出された所謂「アカカ・ビル」の正式なタイトルは、「アメリカ連邦政府とハワイ原住民との関係にかんがみ、連邦政府がハワイアンによる自治体を承認するためのプロセスを確認するための法案」となっている。第九連邦上告巡回法廷の三人の判事によるカメハメハ・スクールの入学基準に対する憲法違反の判決は既にアカカ法案賛成派から、「アカカ・ビル」が成立したら、ハワイアンに対する人種差別問題は、姿を消すことになるだろうというコメントが出されている。

(つづく)

 

This entry was posted in Daily Sketch. Bookmark the permalink.

Leave a comment