May 22nd was my grandfather’s Seven Year Service. I flew to Kona at around 5:30am. My mother picked me up at the airport and took me home. She made my sister and I breakfast. The service started at 11am at Kona Honganji Mission Temple. It’s the same temple I’ve been going to since I was a child. I was baptized there. My two aunts and uncle flew in from Oahu like me. It was a small service. There were about 12 people.
This day’s service was different from all the other funeral services I’ve been to before. It was delivered in English. Reverend Shindo has presided at Kona Honganji since I was a child, and the services have always been in Japanese as he and his family are from Japan. I guess there less people now that understand Japanese. I know I didn’t understand it as a child, and still don’t understand most of it today. But there was a comfort in listening to the Japanese. It felt more authentic.
At this Seven Year service, we were give a photocopy of a chant in English. The melody was the same, but the words were written by a Hakujin from New Jersey. It sounded more like poetry than something spiritual. I’ve never been a religious person, but there’s certain things that make you feel like you’re home. And now, some of those things are changing. For Buddhism, as a religion, using English expands it’s accessibility, but it seems to me that some of the spirituality is lost. But I probably feel that way because of my Japanese roots more than any religious feeling. I don’t think my grandfather would’ve thought these changes would happen. Would he dislike it? I don’t know. I can’t help but feel that something more has been lost. But then again, the service is about loss. That time goes on whether we like it or not. And that change is a part of time.
祖父の7回忌法要
5月22日、祖父の7回忌法要が営まれました。午前5時半頃、コナの飛行場に着きました。飛行場には、母が迎えに来てくれました。家に着くと、母は、姉と私の朝食を作ってくれました。法要は、コナ本願寺で午前11時から始まりました。このお寺は、私が子供の頃から行っているお寺です。私は、そこで洗礼を受けたのです。二人の叔母と叔父も、オアフ島からコナに来ました。約12人の小さな法要でした。
その日の法要は、私が、今までに出席したお葬式とは違っていました。英語で行なわれたのです。進藤住職は、私が子供の頃からコナ本願寺に在職しています。そして、お勤めは、彼が家族と共に日本から来て以来、ずっと日本語で行われてきました。今では日本語のわかる人が少なくなっているせいでしょうか。子供の時、日本語でのお話しは、まったく理解出来ませんでしたし、今でも、ほとんど理解できません。しかし、日本語で聞くことに心地良さがありました。より「本物」を感じたのです。
7回忌法要では、英語の聖歌のコピーを渡されました。メロディーは同じでしたが、言葉は、ニュージャージーの白人によって書かれたものでした。それは霊的というよりも、詩を読んでいるように聞こえました。私は、まったく宗教的な人間ではありませんが、宗教には、我が家にいるような気持ちにさせてくれる何かがあるものだと思います。そして今、そういう何かが変わりつつあるのです。英語を使うことで、宗教である仏教は、もっと近づき易いものになるでしょう。しかし、私には、何か霊的なものが失われたように思えるのです。私がそのように感じるのは、恐らく、宗教的な感情というより、私が日本人の祖先を持っているからかも知れません。祖父は、こんな変化が起こるとは思ってもいなかったと思います。気にいらないでしょうか? わかりません。しかし、私には、何かが失われているのを感じざるを得ません。ちなみに、ご住職のお話しの題目は、「失う」ということでした。時は、好むと好まざるにかかわらず動いていくのです。そして、変化は、時の一部なのです。
そふ の 7 かいき ほうよう
5 がつ 22にち、そふ の 7 かいき ほうよう が いとなまれ ました。ごぜん5 じ はん ごろ、コナ のひこうじょう に つき ました。ひこうじょう には、はは が むかえ に きて くれました。いえ に つく と、はは は、あね と わたし の ちょうしょく を つくってくれました。ほうよう は、コナ ほんがんじ で ごぜん11じ から はじまり ました。この おてら は、わたし が こども の ころ から いって いる おてら です。わたし は、そこ で せんれい を うけた のです。ふたり の おば と おじ も、オアフとう から コナ に きました。やく 12 にん の ちいさな ほうよう でした。
その ひ の ほうよう は、わたし が、いままでに しゅっせき した おそうしき とは ちがって いました。えいご で おこなわれた のです。しんどう じゅうしょく は、わたし が こども の ころから コナ ほんがんじ に ざいしょく しています。そして、おつとめ は、かれ が かぞくと とも に にほん から きて いらい、ずっと にほんご で おこなわれて きました。いまでは にほんご の わかる人 が 少なく なっている せい でしょうか。こども のとき、にほんご での おはなし は、まったく りかい できません でした し、今でも、ほとんど りかい できません。しかし、にほんご で きく こと に ここちよさ が ありました。より 「ほんもの」 を かんじた のです。7 かいき ほうよう では、えいご のせいか の コピー を わたされ ました。メロディー はおなじ でした が、ことば は、ニュージャージー の はくじん に よって かかれた もの でした。それはれいてき と いうより も、し を よんでいる よう に きこえ ました。
わたし は、まったく しゅうきょうてき な にんげんでは ありません が、しゅうきょう には、なにか いえ に いる ような、くつろがせる ような なにか が ある もの だ と おもいます。そして いま、そういう なにかが かわり つつ ある のです。えいご を つかう こと で、しゅうきょう で ある ぶっきょう は、アメリカじん に とって、もっとちかづきやすいものになるでしょう。しかし、わたし には、なにか れいてきな もの がうしなわれた ように おもえる のです。わたし が そのように かんじる のは、おそらく、しゅうきょうてき な かんじょう という より、わたし が にほんじん のそせん を もつ から なのでしょう。そふ は、この ような へんか が ある とはおもっても いなかった と おもい ます。き に いらない でしょうか? わかりません。しかたのない こと です が、なにかが なくなっている のを かんじます。とき は、このむ と このまざる に かかわらず うごいて いく のです。そして、へんか は、とき のいちぶ なのです。
6/6/2004