I’m an American ronin, the third generation born away from Japan. I never though that I would have the opportunity to visit Japan, but recently I returned. I say return because a piece of you is always there even if you’ve never been there. One day, walking through Japan, we went down a side street. Suddenly a shrine appeared. Not so sudden as to frighten, but gentle like seeing a flower blossom unexpectedly. It seemed to open up from nowhere. Here, in the middle of the city, it appeared. Something of the old that wasn’t consumed by the new things around it.
未知のわが家
私は、アメリカ人浪人(さむらい)、日本から遠く離れて生を受けた日系3世です。
私は、日本を訪ねる機会があるとは考えてもいませんでした。しかし、最近、戻ったのです。 戻る、というのは、たとえ、あなたがそこに行ったことがなくても、あなたの一部が、いつもそこにいるということです。
ある日、私は東京の町を歩きまわり、わき道を下りていきました。すると突然、神社が現われました。あまりに突然のことで驚くというより、咲いている花を、思いがけず見ているような穏やかな気分でした。それはどこからともなく立ち現われてきたかのようでした。ここ、都会のど真ん中に、それは出現したのです。
古い何かが、周辺の新しいものに飲み込まれずに存在していました。
みちのわがや
わたし は、アメリカじん ろうにん(さむらい)、にほん から とおく はなれて せいを うけた にっけい さんせい です。
わたし は、にほん を たずねる きかい が あるとは かんがえても いませんでした。しかし、さいきん、もどったのです。もどる、というのは、たとえ、あなた が そこに いったこと が なくても、あなた の いちぶ が、いつも そこに いる ということです。
あるひ、わたし は とうきょう の まち を あるきまわり、わきみち を おりて いきました。すると とつぜん、じんじゃ が あらわれました。あまりに とつぜん の ことで おどろく というより、さいている はな を おもいがけず、みている ような おだやかな きぶん でした。それは どこからともなく たちあらわれて きた かのようでした。ここ、とかい の どまんなか に、それは しゅつげん したのです。
ふるい なにか が、しゅうへん のあたらしいもの に のみこまれず に そんざい していました。