制服なのかしら……

私は料理が上手でない。天ぷらは油が跳ねるのが怖くて作れない。魚はさばけない。凝ったものは作らない。それでも感覚的に偏りなく栄養をとっているような気がする。が、そんな気がするだけで根拠は何もない。
隣家のロンは大の魚好き。2日と間を置かずに、油で魚を揚げる匂いが流れてくる。油は少しばかり古そうだ。ロンはスーパーマーケットの魚売り場で働き、休みの日には海へ釣りに出かける。
「ああ、きょうは疲れた。8時間も働いたんだ。でも、あしたは釣りに行くんだよ。うれしいなあ」という「釣りが命」のロンなのだ。ところが、きょうはいつもより一層うれしそうな顔でロンは言った。
「もうスーパーマーケットで働いていないんだよ。きょうで辞めたんだ。あしたから魚売り場に僕はいないよ」
「どうして?」「膝の手術をするんだ」「病気?」「違うよ。食べすぎで太りすぎなんだ。きっとそんな歳なんだなあ」
ロンは、太りすぎで膝の手術をしなければならなくなったことを、ちっとも気にしていない。仕事を辞めたことも苦にしていない。むしろ喜びに満ちている。そして彼は満面の笑顔で言った。
「いやあ、うれしいなあ。本当にうれしいなあ。明日から毎日釣りに行けるんだ」という幸せなロン。
仮に、もし仮に明日に死ぬことがわかったとしても、涙を流して、笑って、きょう自分が幸せなことをするだろうと、勝手に想像してみた。
私はハワイに来てから、日本ではお目にかかれなかったタイプの人たちに会ってきた。素朴に生きる、愉快ないい人たち。
友人のアンドリューは、ここオアフ島で公立高校の先生をしている。ハワイ島パハラ出身で、家のまわりにはマカデミアナッツ農園がたくさんあるそうだ。パハラには両親と愛犬シャシャが住んでいる。
「今年のクリスマスにはパハラにおいで」と毎年誘われるのだが、忙しくてなかなか実現出来ない。マカデミアナッツ農園に紛れ込んでいる私の姿が、想像の中で毎年膨れ上っていく。
アンドリューは時々遊びに来る。私の愛犬ドルチェはアンドリューが大好きなので、ひとしきり転がって遊んでもらう。夕食時に来ると、私はカレーライスを作る。
「お夕食にしましょう!」「晩御飯と夕食は、どう違うんですか?」と、アンドリューは言った。
ハワイで、この質問は多い。「朝御飯、昼御飯、晩御飯」は聞き慣れたことばだが、「朝食、昼食、夕食」は馴染みが薄いらしい。
その日、アンドリューと夫と私は、夕食のカレーライスを食べながら日本のテレビ番組を見ていた。テレビには同じような服装の日本人が何人も映っていた。すると突然、アンドリューがのんびりした声で言った。
「どうして日本人はみんな同じような服を着ているんだろう?」
「ええっ? どうして?」と私は反応したが、なぜそう言ったのかおおよその見当はついていた。ひとつ流行れば同じタイプの髪形と服装をしたがる傾向の日本人。テレビに映っていたような、そのままの日本人をハワイでも見かける。
「この前ワイキキのホテルで友達の結婚式があったんです。日本から来た人達はみんな同じ髪型で、同じ色に染めて、それに同じ服を着ていたんです。どうして? 同じ会社の人が制服を着ていたのかな?。でも結婚式で制服着るかな?」 と、アンドリューは次第にぶつぶつ独り言のようになっていった。
そういえば、美容室のドナも同じようなことを言っていた。
「この前久しぶりに娘と洋服を買いに行ったの。日本人観光客の母娘を何人か見かけたんだけど、お母さんも娘も同じバッグに同じ服なのよ。髪形とお化粧までそっくり同じだったの。どうして?ミチコ」。
「うーん」
「全く同じ格好なんだけど、違うのは顔だけだったわ。娘さんは若くてお母さんはやっぱりね、少し老けてるの。何も娘と同じようにしなくてもいいのにね」。
「うん」
ハワイの人は目的や場所によってきちんと着替えて出かける。だが、そこにはそれぞれの人生のキャリアや自分らしさが現われている。無理がない。若者も大人への憧れはあるようだが、服装に贅沢な背伸びはしない。そして、普段は気楽なシャツとゾーリになる。
自分にとっての幸せを、素朴に生きようとしている愉快な人たち。彼らの素直な驚きの声に、私はまた引き込まれてしまった。
(毎日新聞USA連載)
