ユカタの恋人よ………

ハワイのアメリカ人が日本に旅行をして、「何が面白かった?」と聞くと、多くの人が「温泉」という。それに「旅館で着た浴衣が気持ちよかった」と、その感触をいま再び味わっているかのように、うっとりした表情を見せる。
浴衣姿の写真を見せる時には、浴衣への想いをかみしめるように、「ユ・カ・タ」と発音する。浴衣は日本情緒とハワイの開放感が味わえる。ほっとするらしい。この「ほっとする」という感覚はハワイを訪れる人々にとっても、住んでいる者にとっても大切なことだ。「ここはハワイだから」という理由において。
私の知り合いに車のシートベルトを締めたがらない人がいる。彼は締めつけられるのが嫌いだからシャツもズボンも緩く着ている。急がせても走らない。通り雨に打たれても雨粒のついた眼鏡を拭こうともしない。だが、体は緩めていても頭は緩めない。
……ハワイで出会ったもうひとりの「ゆるゆるの立派な人物」を私は時折思い出す。6年程前に亡くなった弁護士のフォングさんとは、6年くらいおつきあいをした。
フォングさんは食べることが大好きなのでとても太っていた。だからいつもゆるゆるのシャツとズボンを着ていた。歩くのも声を出すのも辛そうだった。会うと楽しそうにおしゃべりをしたが、仕事に対しては厳しく正直な人だった。
フォングさんが病気で入院した時に、ピスタチオナッツと巻き寿司が食べたいというので、お見舞いに持って行った。彼はベッドの上で昼食を食べ終えたところだった。「ピスタチオナッツと巻き寿司よ」と差し出すと、喜んで包みを開けていくつか食べてから「残りはまたあとで食べよう」と、太い指で大切そうに包み直した。
次にお見舞に行った時、フォングさんは病室にいなかったので廊下に出た。廊下の角を曲がってきた車椅子の人が「ミセス・ナカムラ」と手を振って私の方に近づいてきた。空気がぬけて体がしぼんだようになっていたフォングさんを見て、私は笑顔が出なかった。
彼は笑っていた。が、片足がなかった。病室に入るとフォングさんはベッドに横たわった。そして悲しそうな表情で「残念だけど私はもう出来ないよ」と言ってから、引き継ぐ弁護士の名前を紹介してくれた。私も悲しかった。
温かく人間味があり厳しく仕事をしている人を見極めなくてはならない。そんなことを考える時、ゆるゆるのシャツとズボンを着たフォングさんが私の心に浮かんでくる。
ハワイに長く住んでいると、靴よりもサンダルやぞうりを履く方が気持ちよくなってくる。ほっとする。ぞうりで出勤し、職場で靴に履き替えるという人も少なくない。パーティーに行くのにドレスアップして家を出たものの、途中、車のアクセルを踏むゴムゾーリに目がいき、靴を忘れたことに気がついた、という話は珍しくない。
ゴムゾーリはぞうり族の中でも人気が高い。地元の人は飾りよりも実質を取り、黒の安いゴムゾーリを好んでいる。その歩きぶりは妙に堂々としていて、つい憧れそうになる。私もぞうりを愛用しているが、ゴムゾーリはまだかっこよく履きこなせないので、他の種類のものを履いている。
「ぞうり歩き」は一歩踏み出すごとに足を持ち上げる必要がないので、余計なエネルギーを消耗しない。それはゆっくりとしたテンポで歩くハワイの人々の気性に合っている。やや怠け者の印象を与えるが、ハワイでは足元だけで人を見極めるのは賢明ではない。
ぞうりは「ずるずる」と引きずりながら歩くことが許されると思う。しかも引きずる音はさほど雑音にならない。音が出ないように歩いても、こそこそとした感じにならない。
下駄は「からんころん」と、下駄から発する音を楽しむ要素があり、玉砂利の上を歩く音にも趣がある。そもそも下駄を履いて、そおっと音をたてないように歩くのは泥棒みたいではないか。それに足の筋肉も疲れる。
ぞうりも下駄も、足の親指と人さし指に挟んで履くので似たようなものだが、ハワイの人にとってみれば根本的に全く違う。ゴムゾーリは履きやすく、下駄は履きにくい。だから下駄はほっとできない。
そんな話を友人のアンドリューにしていると、彼はのんびりした顔で見事な応答をした。
「でも、下駄は水溜まりの上を歩きやすかったよ」
そうだった。忘れていた。ゴムゾーリや下駄からも、人生の深いヒントを得ることができる。
そして、「日本の浴衣」と「ハワイのゴムゾーリ」は、愛し合っている者同志のように、遠く離れていても心は近いと感じた。
(毎日新聞USA連載)
