Violin弾きのお美っちゃん~26

友と子猫とマッサージ……

「健康にいいこと、何かしてますか」と聞かれると「いいえ、特に何も」と答える。頷いて感心されるようなことは何もしていないが、かといって健康に悪いこともしていない。

ハワイの人は健康に気を配っている。にもかかわらず高血圧や心臓病も多いようだ。ハワイは暑いので、人々は習慣的に濃い味に慣れ親しんできたせいかもしれない。たまに外食すると、私の味覚には辛すぎると感じることがある。

電車も地下鉄もないハワイの交通機関はバスか車だ。健康に気を配っている人でも、車を少し離れたところに駐車して目的地まで歩くのを厭う。ひとつの目的に向かって行動している時、少し時間の余裕をみて「ついでに運動」とは考えないようだ。

しかし、彼らはスポーツジムの会員になったり、マッサージに通ったり、週のうちで時間を決めてジョギングをしたりと、スケジュール化して熱心に健康にいいことをしようと努めている。

歌い手である友人のハイディも、健康によい食事や、美しく健康であることにとても心を配っている。彼女は、去年の夏、コロラドに住んでいた15歳年上の、最も頼りにしていた兄を事故で亡くした。

すでに両親がいないハイディの心の奥底には孤独があった。しかし、その孤独を生きる強さに変えきたものは、歌であり、音楽を囲む友だった。そして、芸術家としてコロラドの森で自由に暮らしていた兄の生き様は、ハイディにとって勇気だった。

ハイディはこの半年間、明るく振る舞い、外目には悲しみを感じさせなかったのだが、それは悲しみが深すぎたからだったようだ。ある日、彼女は子猫を1匹引き取りいっしょに暮らし始めた。小さな命と一緒に暮らすことは、心の癒しになるだろう。

しばらくして、ハイディから勢いのある声で電話がかかってきた。

「ミチコ、一緒にボディーマッサージに行かない?1時間の無料券をもらったから30分ずつマッサージしてもらいましょう!気持ちいいのよ」「ミチコはいつも忙しそうにしているから、何かちょっと違うことをしてみなくちゃだめよ。私が誘拐してあげるから少し時間を作ってね」

ーー彼女は実にうまいタイミングで誘い出してくれる。

慢性的に凝った私の肩は、時には岩のような固さになる。ずっと前にひどい背中の凝りにたまりかねて、知り合いからマッサージ器を借りた。床にそれを置いて仰向けに寝転がった。マッサージ器は岩板のように凝った背中をごりごりと揉みほぐしはじめた。

マッサージ器はまるで意志があるかのように、固い凝りを砕こうと懸命に頑張った。事実、凝りは次第に小石になり、さらに砂粒に砕けていくようだった。が、やっと気分が良くなった時には、背中いっぱいに赤紫のあざが出来ていた。あざは何日も消えなかった。やり過ぎも怖いものだと思った。

ボディーマッサージとはどんなものなのか。マッサージセラピストのサムはハイディの歌仲間で、人柄がよいことはわかっている。私は反抗せずにおとなしくハイディに誘拐された。

ハイディのマッサージが済むと、交代して、今度は私がマッサージ台にうつぶせなった。それからサムは何か香りのよいオイルをたっぷりつけて、ゆっくりと背中をマッサージしはじめた。

しかし、天使のように優しくふくよかな彼女の指は、深く固い凝りには届かない。「どう?」「うん、いい気持ちよ」……。

静かな時が流れる。

「もっと強く押して!」と私が言えば、サムは全体重をかけて頑張ってくれるだろう。が、そうすれば彼女は親指の関節を痛めるかもしれないし、私の背中に赤紫のあざができるかもしれない。

それなりに健康を保つというだけでも、何と難しいことだろうと思った。

世の中には、健康の目安に数値や平均値ばかりに関心を示す人も多い。治療のための適正な検査は必要で、そうした数値がなけれ診療する術を知らない医師も多いようだから、あながち患者ばかりを責められないのかも。私自身でいえば、背中にオイルを塗ってマッサージをするよりは、摺粉木か麺棒で凝りをすり潰してもらう方がふさわしいのかもしれない………。

ほんやりと浮かんでは駆け巡る私のそんな思いをよそに、香りの良いオイルを塗ったサムの手が背中を行ったり来たり、気持ちよく滑って行く。

「固い凝りは背中のもっと奥深いところにあるのよ。ここよ!」とは、サムには告げなかった。その日の私にとって、固い凝りを取ってもらうことよりも、ハイディとサムと3人で過ごすくつろぎの時間の方が大切だった。

くつろぎの流れの中から、悲しみを押し包んでいるハイディの心の奥底から、「よっし!」と奮い立つ、もう一つの彼女の声も聞こえてくるような気がしていた。

(毎日新聞USA連載)


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