父と娘と……

私の住むアパートはハワイ式というか、自然の風が通り易い窓の作りになっている。簡単に言えば右から左に風が吹き抜ける。外の世界と一体のようなものだから、こんな住居では「孤独死」などはしないだろう。
住人たちは隣人の生活をさりげなく観察している。ざっくばらんのように見えても、人間としての品位というものを心のどこかで重んじている。40年の伝統ある長屋だ。
昨年のクリスマスの晩、2階に住む親子が大喧嘩をした。親子喧嘩はいつものことだが、今回は深刻だ。父親は成人している娘2人と犬を追い出した。彼女達はその夜どこからか、ひとつ車輪の取れかかったポンコツ車を駐車場に押してきて犬と住み始めた。
父親は心臓を患っている。時々、表に出てきては「僕は心臓の手術をしているから新鮮な空気が必要なんだ」と、手術の跡を見せて弱々しく笑う。本当のところは娘との絶え間ない喧嘩のせいで、外の空気を必要としているのだろうと思う。
駐車場は「コ」の字型の建物に囲まれているので、この一家の騒動は全住人の注目を浴びることになった。彼女らは車の座席を倒して寝泊りをし、犬も後部座席で不安気な顔をして暮らした。まぎれもなくホームレスになったのだ。
ハワイにもホームレスはたくさんいるが、ホノルル中心部の観光街ではほとんど見かけない。ハワイは年中暖かいので、米大陸のソーシャルワーカーや慈善団体がホームレスの人に飛行機の片道切符を与えてハワイに送り込んでいる、という噂をずいぶん前に聞いたことがある。が、事実は知らない。
1年前。こんな出来事に遭遇した。
その日、私はスーパーマーケットで買い物をして駐車場を通り抜けた。駐車場の傍には緑の葉を豊かに広げた大木があり、その木にもたれ、一人のホームレスが座り込んでいるのが目に入った。が、私は知らん顔をして足早に通り過ぎようとしていた。
木の前には郵便ポストがあった。その時、見知らぬ女の人が手紙を「ぽとん」と、ポストに落としたところだった。かと思うとすぐさまバッグから紙幣を取り出して握りしめた。それから、木の下でうずくまっているホームレスの人に駆け寄った。
その女の人の行動は素早く、声はとても自然で柔らかだったのに、交通量の多いその道での彼女のことばは鮮やかに響いた。「これで何か好きな物を買って食べなさい!」と言うのが。
ぼろをまとったホームレスの人は、地面にべったりと座ってうなだれたままお金を受け取った。それはほんの一瞬の出来事だったので私は振り返らなかった。
ちょうど1年前に見かけたそのホームレスの身なりは、「本当の冬の国」からハワイに到着したばかり人のように見えた。やはりあの噂は本当なのだろうか……。
新春のホノルルは、快晴が続いている。そして、朝晩は肌寒い。ハワイのホームレスは凍え死ぬことはないだろうが、テレビでは「本当の冬の国」の人々が「本当の厳しい寒さ」によって弱っていく姿が映し出される。
余談だが、夫がオアフ島の刑務所に勤務している友人のクリスティーナは言う。刑務所は空調設備が整っており、囚人はコンピューターを使って教育を受け、学習をし、さまざまな慰問も受ける。「私たち普通の人よりも、ずっと恵まれた生活をしていると思わない?、ミチコ」
そうなのか。いつか慰問に行って内部の様子を見て来なければ、と思っている。
米本土から護送されてくる囚人たちは、一般の乗客と同じ飛行機に乗ってくる。囚人がホノルルに到着する日は、クリスティーナの夫も飛行場に何時間も立って警備にあたる。任務を終えた直後に会った時は、日焼けした顔が真っ赤になっていた。
囚人の中には、米本土の刑務所に送られたり、またハワイに戻されたりと、何度も行き来する者もいるらしい。すると、刑務所に勤務するオフィサーと顔見知りになる囚人もいて、飛行機から降り立つと「ハロー、オフィサー……」と、嬉しそうに挨拶をする者もあるそうだ。
厳重な監視の目に、手かせ。歓迎のレイの花を首にかけてはもらえないが、囚人にとっても「常夏の国・楽園の島・ハワイ!」と、内心は密かな喜びがあるのかも知れない。
さて、アパートの住人の駐車場でのホームレス生活は凍えて行き倒れすることもなく、車の中での寝泊りは、2週間にも及んだ。が、無事終止符を打った。
彼女たちはついに車輪の修理に成功し、犬を道連れにして逃亡したのである。
(毎日新聞USA連載)
