こっちの水は甘いか?……

ハワイは11月から3月ごろまで雨期になる。
といっても、日本の梅雨のようにしとしとジメジメ降り続く雨ではない。オアフ島ではワイキキが最も雨量が少ない。ワイキキ方面は青空が広がっていても、車で北に15分くらいのところにあるマノア方面の山には雨足が見えることがある。マノアは雨が多い。
何月だったか忘れたが、マノアの友人の家でパーティーをした時のことだ。ジャングルのように南国の木々が生い茂った庭で、私たちは食事をしておしゃべりをしていた。夕方になり、そこに雨がザーッときた。
すると湿った空気に乗って、どこからともなく羽蟻の大群が私たちのパーティーに参加した。羽蟻は私たちを刺しはしなかったが恐ろしかった。水や緑の恵みを受けるならば虫との共存も受け入れなければならないことを知った。
とにかくこんな小さな島なのに行く先々で、いろいろな表情を見せてくれるこの島が私は好きだ。時折、通り雨が乾いた島を潤してくれる。これは有難い自然の恩恵なのだ。
ハワイの様々な自然の恵みは、観光客にとっては当り前のことかもしれない。何十年もかけてハワイの人々によって整備され準備されてきたことは、ほんの数日間ホテルに滞在する観光客は知らなくてもいいことなのかもしれない。
15年間ハワイに住んでいる私さえも、ハワイの水はどこからかわからないけれど、無限に湧いてくるものだと思っていた。とにかくハワイの水は枯れることはないだろうと。
……その日、私はハワイ島コナにある古ぼけた劇場の楽屋で、演奏用のドレスに着替えながらスーザンとおしゃべりをしていた。スーザンはハワイ島の火山国立公園に勤めている。ヴィオラ弾きでもある。
私は着替えをすませると、滞在先のサリーが作ってくれたサンドイッチを食べはじめた。ペットボトルの水を飲んでから「スーザン、ホノルルとコナの水道水では味が違うのね」と言った。コナで滞在した家で飲んだ水と、私の住んでいるホノルルの水とでは、味が違っていたからだ。
スーザンも出演の準備をしていたが「火山国立公園の職員」の顔を覗かせて答えた。「ハワイ諸島は火山でできているでしょう。雨が降るとね、溶岩がフィルターの役目をして、ろ過されるの。だからハワイの水はいい水なのよ」。
「なるほど、わかりやすい!」。私は嬉しくなった。
「溶岩には小さいブツブツの穴がたくさんあいてるでしょう?あれがスポンジのようなもので、雨水がそこを通り抜けると自然にきれいな水になるのよ」。
「そうなの!」と、改めてハワイの水に自信を持つことが出来て、更に興奮した。
「水は塩水よりも比重が軽いから、海水の上に溜まった水はドームのようになってるの。そしてドリルで岩盤に穴をあけて、ストローみたいにパイプで水を吸い上げてるのよ」。
私はサンドイッチを食べながら呑気に話を聞いていた。が、なぜかスーザンは深刻な顔つきで話を続けていった。
「でもね、オアフ島には100万人近い人が住んでいるでしょう。水不足の問題はだんだん深刻になってきているのよ。だからオアフ島では、海の塩気が混じった水の層を使う必要が出てくるかもしれないの」。
「ええっ、そうなの? それでハワイ島の水は?」。
「ハワイ島は人口が少ないから水をそんなに使わないでしょう。だからいい水がまだ充分にあるの。それに標高の高い所に住んでいる人たちは、雨水を直接屋根から大きなタンクに溜めてるのよ」。
私は状況が飲み込めてだんだんに深刻になっていった。サンドイッチは食べ終わった。「残ったペットボトルの水は捨てないでホノルルまで大切に持ち帰ろう」と、そっとバッグに入れた。
「今ね、ハワイ島の余った水を人口の多いオアフ島に送ろうか、というプロジェクトが持ち上がっているのよ。でも、まだアイデアの段階だけどね」とスーザンは教えてくれた。
「どうやって運ぶの?」
「ミチコ、それが問題ね!容器に入れて飛行機で運ぶ? 島と島の間をパイプで繋いで?。それとも海底を通して?……」。
本番前に思わぬ問題に直面した私は「どんな方法がいいかしら」と考え始めた。が、まもなく出演の時間になったので私たちはそれぞれの楽器を手に、ぎしぎしきしむ狭い舞台裏を通ってステージに向かった。
……演奏会が終わると、コナの飛行場までキャシーが車を飛ばしてくれた。更に、親切にも「ミチコ、喉が乾いたでしょう? これあなたの水よ」と、大きなペットボトルの水を差し出してくれた。
私は「飲み残しの水が1本あるから……」とは言わずに「どうもありがとう!」と有難く受け取ってバッグに詰め込んだ。バッグは2本のペットボトルで不格好に膨らみ、片手には重いヴァイオリンケースを手に、オアフ島への飛行機に乗り込んでいった。この時ばかりは荷物の重さが苦にならなかった。
40分の飛行中、飛行機の窓から海面をじっと見つめながら「ハワイ島からどうやってオアフ島に水を運べばいいかしら……」と考え続けたのだった。
(毎日新聞USA連載)
