Violin弾きのお美っちゃん~19

時の心を縫う……

秋・冬の季節にハワイ島(ビッグアイランド)コナの演奏会に出かけると、いつも山の上にある家に泊まる。コナは欧州から移住した人々が多く住んでいる。私が住んでいるホノルルとは雰囲気が違うので、演奏を頼まれると喜んで出かけている。

山の上は、朝晩涼しいので、夜寝る時に「寒かったらこれも掛けてね」と何色もの毛糸で編まれた手編みの毛布をベッドの端に置いてくれる。

「うわぁ、きれいね!」と言うと、彼女たちは必らず「おばあちゃんが編んだのよ」とか「母が編んだのよ」と嬉しそうに言う。

「ハワイは年中夏だから、そんなもの着なくても寒くないんじゃないの」と思われるかもしれないが、11月頃から早朝少しずつ冷え込むようになる。10月中旬になると私は、深夜から早朝にかけての気温の変化に注意をするようになる。

夜寝る時、首に巻くための大きなバスタオルと体に掛けるキルトを体の回りに散らばめておく。愛犬ドルチェも横で寝ている。私も犬のような気分だ。

早朝。それは夜明け前の太陽が「エネルギーを溜めている時」、と、私は眠りの中で思う。「地球が冷えている、寒い!」。そこで私は手でキルトを探りさっと体にかける。ドルチェも素速く身を寄せてくる。太陽が高く登るとハワイはまた夏になっている。

私のキルトはお店で買った単純な作りのものだが、ハワイの友人の家を訪ねると温かみのある手作りの本物のハワイアン・キルトがベッドに掛けられていたりする。手作りのハワイアン・キルトはそれ自体ベッドカバーではない。特別の集まりの時などにお客様に見せるためにベッドに飾っているのだ。

何千針、何万針……「チク、チク、チク、チク」と家事の間に間に、また仕事の合間に、心を込めて縫い上げたキルトには愛情が込められている。だからベッドに掛けられているハワイアン・キルトには、どんと腰を降ろしてはいけない。尊敬をもって眺めなくてはならない。

家庭に食べ物をもたらすようにという想いを込めて、昔のハワイの女性たちはハワイ語で「ウル」というブレッドフルーツや「タロ」をキルティングのデザインに使った。それらは昔、ハワイアンにとって主食だったから。他に、ハイビスカスやパイナップルなど、ハワイの花や果物のデザインも多く見られる。

ハワイのコアという木の枠に入って壁に飾られたハワイアン・キルトを見ると、いつか作ってみたいと思う。が、私はあまり手芸が得意ではない。嫌いではないのだが、どういう訳か私が何かを編んだり縫ったりすると、糸がもつれたり、縫い目があっち向いたりこっち向いたりしてしまうのだ。そうなると辛抱がない。

しかし、親しくしているウィノナさんがハワイアン・キルトをするのを見ているうちに「これは私に向いているかもしれない。できるかもしれない」と思えるようになってきた。ハワイアン・キルトは「セラピー」だから。キルティングは「瞑想」だから。と、彼女は言う。

ウィノナさんとは6年くらい前に出会った。ハワイに生まれ育ち、この10月に70才になった。私は、彼女がひと針づつ、ゆっくりと針を進めていく姿を、ただただじっと眺めている。静かに縫い進める彼女の丸い横顔は「焦らなくていいのよ。でも一歩、一歩、忍耐を持ってね」と語りかけているようだ。

ウィノナさんには6人の孫と8人のひ孫がいる。今、縫っているハワイアン・キルトは子ども用の掛け布団くらいの大きさなので、誰かへのプレゼントのつもりらしい。何カ月も何年も、暇を見つけては、自然に呼吸をするように、ひと刺し、ひと針と縫う。

「縫う時には形を目で見て、指ではかって、自然な波や膨らみが出るといいのよ」。

ウィノナさんは「いつ仕上げなければならない」とか「いつまでに仕上げよう」などとは一向に考えていない。「仕上がったときに、仕上がる」のだ。

「女はね、いろいろなことで忙しいし、心配ごともあるから、ゆったりした気分でハッピーな気持ちですることが大切なのよ」と言いながら、いつ始め、いつ仕上がるかわからないハワイアン・キルトを縫っている。その「時」を楽しみながら。

「ハワイアン・キルトは忍耐がいるの」
「いいこと、いい場面を考えながらすることが大切よ」
「愛を持ってすることが大切なの」
「楽しく、静かで、幸せな気持ちですることが大切なのよ」

「ミチコ、音楽もセラピーでしょう。心を癒すものでしょう。ハワイアン・キルトもセラピーなのよ」と、彼女は縫う手を少しだけ休め、キルトを撫でながら言った。

私はまだハワイアン・キルトを始めてもいないのに、ウィノナさんの話す声に心地よい安らぎを感じていた。

(毎日新聞USA連載)


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