自分の居場所は……

私の行きつけの美容室のドナは、1カ月間美容室を閉めて娘とふたりでニューヨーク暮らしをしてきた。
ドナはシングルマザーなので、普段はヘアデザイナーとして多忙な毎日を送っている。しかしこの夏は、ひとり娘がニューヨークでバレーのレッスンを受けるので、付き添いをかねて、働き詰めの自分へのご褒美もかねて休暇をとったのだった。
ニューヨークに出かける前のヘアカットの時に、ドナはこう言った。
「ミチコ、私は毎日働き詰めよ!そう、何年も何年も……。もちろんこの仕事が大好きだしお客様もたくさんついてくれているから、それはとても幸せなことだと思ってるのよ」
「うんうん」
「でもね、私には休暇が必要なの!全てをここに置いて何も考えない時間が必要なの」
「そうそう、そうね」
「だから、1カ月のニューヨーク滞在は休養の絶好のチャンスなのよ。わかる?」
「わかるわかる。ドナ、ゆっくりしておいで。他の美容室には行かないで待っているから」と私は言った。
それから6週間後、クルクル伸びた癖毛を切る為にドナの美容室に行ったのだった。
「ドナどうだった、ニューヨークは? 楽しんだの?」
「楽しんだわよ。いろいろなところを歩き回ったし、博物館やコンサートにも行って……。きっとミチコも好きになるわよ ニューヨーク……」と言いながらも、出かける前の浮き足立った声から、落ち着いた声のトーンに変わっているのがわかる。
髪の毛を切るハサミの音は「ココよ。ココこそが私の居場所、生きる場所よ!」とでも歌っているかように、リズミカルに「サクッサクッサクッ」と音をたて続けている。
以前、ドナに恋人が出来た時に「どう、彼とはうまくいってる?」と聞いたことがあったが、これはいけなかった。
ドナは髪の毛を切る手を止めて、恋人とのトラブルのこと、デートのこと、愛しているけれど結婚まではいかないだろうということを、ついにはハサミを振りながら解説してくれるのだった。私はとうとう、「ドナ、ちゃんと切ってね」と言わなければならないのだった。
ところがニューヨーク帰りのドナは少し様子が違う。その手は休むことがない。
「本当に私、自分の仕事をもっていてよかったと思うわ。ありがたいと思うわ!」とため息まじりで言っている。ハサミの音までが「ハッピーハッピー」とでも言っているように軽やかだ。私の癖毛も踊りながら床の上に転がり落ちていく……。
そして、ドナはハサミを動かしながらこう言った。
「もちろん娘と過ごしたニューヨークは楽しかったけど、仕事をしないでフルタイム・マザーをするのは絶対に私には向かないと思ったわ。ミチコ、わかる?」
「うん、わかるわかる」と答えつつも、ドナがきちんと私の望むように切っているか、私は鏡の中の自分の顔をじっと見つめていた。
「私の人生には、私自身の仕事をすることが大切なの!」と、ハサミの音はますます調子を増したのであった。そして手際良く私の癖毛にふさわしいスタイルにまとめてくれ、私は満足して帰った。
ドナとそんなこんな話をした2日後に、ニューハンプシャーから休暇でハワイに来た友人とワイキキで食事をした。
グレースと私は10数年前に、彼女がハワイで2つ目の修士号を取っている時に親しくなった。卒業後は両親のいるコネチカットに戻り、まもなくして結婚しオレゴンに住んでいたのだったが、最近離婚した。
「お仕事してる?」と聞くと「ううん、してないわよミチコ。結婚した時から主婦業と母親業に専念すると決めていたのよ!」ときっぱり言った。離婚してシングルマザーになった今も、その姿勢は変えないようだ。
そう言いつつグレーズは、離婚した夫に2人の子どもを預けて、ハワイのバカンスをひとり楽しんでいるのだった。私たちは、ワイキキの海に沈んでいく夕陽に染められた赤い雲のバリエーションに感嘆の声を出しながら、おしゃべりをし、そして笑った。
……それにしても、「ドナもグレースも、なかなかやりますね!」と、彼女たちの元気さと強さに感心させられた2日間だった。
その輝くばかりに明るいエネルギーは、美しい夕暮れのロマンティックな憂いすらも、吹き飛ばしてしまいそうだったのである。
(毎日新聞USA連載)
