ばかばかしい日々を……

「ハーレタッソラー、ソーヨグッカゼー~~~」と、今日も、オフィスの窓からホノルルの青い空を見上げて、心の中で大声で歌っている。
実のところ、この歌謡曲を声を出して歌ったことはないのに、オフィスでコンピューターの前に座り、青空が視野に入り、ラナイ(ベランダ)からソヨソヨと流れ入るそよ風を肌に受けると、「ハーレタッソラー、ソーヨグッカゼー~~~」が、なぜか、どこからか、私にだけ聞こえてくる。
しかも、不思議なことにオフィスのコンピューターの前に座った時にだけ聞こえてくる。すると、心配事で一杯の私の心は次第に気楽になっていく……。
京都の祇園祭りのおはやしの音を聞いて、誰かが「コンチキチン」といい出して、今は誰もが「コンチキチン」に聞こえるようだ。不思議なことだが、音が伝えるイメージは、安堵感や郷愁、不安感、喜びや悲しみ、時には恐怖感をも誘うことがある。
オフィスにコソドロが入ってからドアにベルをつけた。ドアを開閉すると「チリンチリン」「ジャラジャラ」とベルが鳴る。更に「ボヮーン」という鐘もぶら下げている。これで、コソドロはコソコソと入りにくいだろう。
今ではメイルマンまで、遠慮してドアを半分だけ開き顔を覗かせ、郵便物を投げ込みソソクサと帰るようになった。これはちょっと淋しいが、「チリンチリン」「ジャラジャラ」の音の加減で、今やドアを開けたのがメイルマンなのか、オフィスの人間なのか、お客様なのかなどを、だいたい聞き分けられることができるようになった。音に安心感をもらった、という感じだ。
自宅アパートのある住人は軍関係の出身者だったのか、午前8時きっかりになると軍隊の起床ラッパの音を流すのだった。それはラジオなのか録音なのか分からないが、私たちアパートの住人は、このラッパによって行動開始しなければならないかのようだった。
ともかく毎朝聞こえてくるから、やがて8時直前になると反射的に「来るかな?」と身構えるようになった。すると「パンパカパッパッパー……」がやってきた。それが最近パタッと聞こえなくなった。どこかに引っ越したのかもしれない。
それでも未だに8時になると「来るかな?」と身構えていることがある。が、聞こえてきたのは「パンパカパッパッパー……」ではなく、隣家の「ハァーックション」だ。これはだいたい連発なので私も「ヒヤックション」と応答する。すると、愛犬ドルチェまで「クシュン」する。
こうしてホノルル長屋で、忙しい一日が始まり…………そして夜、バッハのCDを聴く。
私にとって、バッハの曲は疲れた身体と神経を静めてくれる。魂は深い海の底にあり、まるで壮大な潮の流れの帯に包まれてるように感じるのだ。だが、バッハのオルガン曲の「ファンタジアとフーガ・ト短調」を聞き過ぎたかもしれない夜中は、パイプオルガンの、あの独特のトーンが「ズワーン」と夢の中で聞こえ、びっくりして目を覚ますこともある。
音に包まれた私の日々に退屈ということはないようだ。
眠くなれば眠り、目を覚ませば働く。心苦しいような難渋の時には、ばかばかしいことを考えたりする。ある時にはペンネームを考えた。「おかねないこ」「あほくさゆいな」「いいかげこ」。風邪をひかないように腹巻を買ってきた時は「はらまきこ」……こんな雑音名の響きも心地よい。
それにしてもばかばかしい、人様にはあまり言えないような、そんなばかばかしさを胸に、明日もまた頑張るのだろう。私という「音弾き」は。ばかばかしくない人生なんて、味気ないだろうから。
(毎日新聞USA連載)
