眼前の「遠い世界」……

私が入学した大学の音楽学部レッスン室がある建物は、平安神宮の庭と隣あわせだった。その庭との仕切りは、古びた金網のフェンスと木々だけ。レッスン室の窓をあけて耳をすますと、観光客が神宮の庭をぞろぞろと歩いているのが感じられた。
フェンスの金網には取り付けが緩んでいるところがあって、そこをめくると神宮の庭に出られる、という話をある日先輩から聞いた。新入生の私と友人は、さっそく建物の裏側に回った。ひんやりとした日陰に積もった、古い落ち葉をカサコソと踏みながらその破れた金網の場所を探した。
網がベロンとめくれる場所を通って高い木々の間をすりぬけた。私たちは、孤独なレッスン室から出て、初夏のあたたかい空気を吸った。それだけで、レッスン室から聞こえるヴァイオリンやチェロや声楽の入り交じった音は、もう遠くの世界のものだった。
平安神宮の庭園には日本人だけでなく、世界各国からたくさんの外国人観光客も見物に訪れていて、陽気におしゃべりをしながら、がやがやと通り過ぎて行く。が、時折、私たちの大学の構内にも迷い込んで来た。もちろん、裏のフェンスからではなく大学の門からだが……。
行き先は決まっているから、「平安神宮はどこですか」と英語で尋ねられれば、「まっすぐ行って左です」と答えればよかったのだった。それでも、微笑んでお礼を言われると、ちょっとくすぐったい気持ちがしたものだ。
そう、京都では、5月から6月ならそんな私たちや通行人に、池の縁の菖蒲の花が優雅な姿を披露していた。
ここホノルルの町にも、同じように、世界中から観光客が訪れている。米国本土からはじめてハワイに来るアメリカ人観光客にとっても、気分は海外旅行だろう。首にはレイがかけられている。彼らにとってハワイはアメリカではなくて、どこか遠くの楽園の国なのだ。隣近所の人にでも見送られて、はるばるハワイにやってきたのだろう。
カンザスの友人がハワイに来た時に「ハワイはお花の匂いがする」「花の匂いに引き寄せられて近づいてみると、そこにはお花があったのよ」と言った。視力がぼんやりとしていたジーナは、ハワイの楽園を「香り」で味わっていたのだ。ハワイには、人それぞれの「楽園」の味わい方がある。
きょうも観光客が3~4人連れだって横断歩道を渡っている。アジア系らしいその人は、日本人か中国人か韓国人か、どこの国から来たグループか、はっきりと分からないこともある。しかし、信号のない横断歩道を渡る時に日本人だと分かることがある。
横断歩道で止まってくれた車のドライバーに会釈をしながら、やや小走り気味に道の向こう側まで渡る。首を前に1、2回、軽くクックッと倒している。恥ずかしそうに、申し訳なさそうに、そうする人もいる。見ているとそれはたいがい日本の観光客だ。
そんなホノルルの町中をトロリーバスが走って行く。日本人家族やアメリカ人熟年カップルなどが、座席に一緒に並んでいる。ひと言かふた言、午後のあいさつか、お天気の話しでもするのだろうかと想像してみる。
そして、トロリーバスは彼らを乗せてトロトロと目の前を通り過ぎていく。
私はといえば、横断歩道で信号待ちをしながら、トロリーバスの観光客を見つめている。まるで、学生時代の、レッスン室からの音を聞き流しているかのように……。
(毎日新聞USA連載)
