広がりのある暖かさ……

維新の英雄といわれる坂本竜馬が、土佐の桂浜から太平洋の遥か彼方を仰ぎ見て、「この海の向こうはハワイに続いちゅうじゃろうか」と言ったかどうか、私は知らないが、彼はその後京都に行った。
私は、高知を出てから、京都とハワイに、それぞれ人生の約3分の1弱を生きている。高知城のすぐ傍に家がある。高知城は私の遊び場だった。愛犬フォックステリアの弁慶ちゃんとのお散歩コースでもあった。
学校から帰ると弁慶とお城へ散歩に出かけた。板垣退助の銅像の横を通り、それから坂本竜馬のお姉さんが手綱をひいた、ずんぐりしたお馬さんの銅像の横も通った。私の犬はかわいかったので注目された。たまに飼い主の方も……。
高知城の二の丸からこじんまりとした町並みを見た。この眺めが私は好きだった。そして、また、「いつかこの四国山脈を超えていかなくては……」とも思った。
桂浜には遠足で、小学生の時も、中学生の時も、高校生の時も行った。海は、野球帽のつばのへりのようにぐるりと丸かった。そして、桂浜の海も、ハワイの海も、外の世界に向けての、広がりのある可能性を抱かせるような暖かさを持っていた。
ハワイに暮らし始めてからある日、ダイヤモンドヘッドの灯台に上がったことがある。一般には入れないのだが、友人の妹の義理の両親が灯台のある敷地内に住んでいて、そこに勤務していたので招待してくれたのだった。とてもよく晴れた、暑い昼下がりだった。
海に面した高台にある敷地内の庭には、よく手入れされたハワイらしい植物が植えられてあった。そこには平和な空気が漂っていた。そこから、ダイヤモンドヘッドの灯台に登り、360度ぐるりと太平洋を見渡した。
まあるい海と、果てしなく続く空は「宇宙の青?」そのものだっと思った。水平線の向こうにも宇宙は続いていることが、はっきりとわかる。雲は、風の流れによって作られた芸術だった。そこには作為はひとつもなかった。
灯台にいる私に、風は四方からも、上からも下からもゴーッと吹きつけた。髪は逆立ち、強い風で息ができないくらいだった。しかし、自然の力によって、私のこころは解き放された。本当に空に向かって泳いでいけそうだった。
…………高校生の時、高知から京都まで何度かヴァイオリンのレッスンを受けに行った。一人で夜行列車に乗り、フェリーや電車を乗り継いで片道10時間かけて行った。レッスンの約束の時間と、日曜日の深夜に高知に帰るには、当時はこの方法が一番よかったのだ。
私は不安だったので、眠らないで暗い車窓に写る人影をぼんやり見ていた。四国山脈を抜け、深夜、フェリーで本州に渡った。そこからしばらく、だらだらと同じような景色が流れた。そして早朝、まもなく目的地に着くころ、列車の車窓に雪が激しくななめに吹きつけた。その雪は、私に熱い期待を運んできてくれたように思えた…………

ダイヤモンドヘッドの灯台に立った時、そんな情景が心にふとよみがえった。
そこに希望がいだけるのであれば、いつまでもだらだらとした不安は続かないだろう。外に向けての広がりのある可能性と、いだかれる暖かさをもっていれば、何とか乗り越えていけるだろう。
勇気をあたえてくれるものは、心にくいこむほどの、「ほんとうのもの」だけだろう。それは、例えば、宇宙の青や、動物の無垢さや、心底から飛び出した力ある短い言葉であったりする。
作為や虚言がないものからのみ、本当の希望が得られる。だから心の耳をいつも澄ませていなければ……。
(毎日新聞USA連載)
