Violin弾きのお美っちゃん~2

花にも心がある?

京都の鴨川の近くで住んでいた家の前は桜並木だった。満開になると花吹雪となった。夫が止めた車に積もった花びらは、朝、春の空に渦をまいて舞い上がった。そして、桜が終わる頃は緑の葉がにおい、並木の足元のつつじが咲きほこった。

裏庭の隅には、朽ちていると思われるような芙蓉(ふよう)の古株があった。しかしその株は、毎年淡く柔らかいピンクの花を咲かせた。花びらは触れることがはばかられるような命の儚(はかな)さをたたえていた。

今、ハワイでハイビスカスを見る時、あの裏庭の芙蓉を思い出す。ハイビスカスは陽が昇ればいつでも咲くといわんばかりの命の勢いを見せているのに……。

コンサートのためにホノルルから飛行機で40分のハワイ島(ビッグアイランド)のコナに行った時のことだ。リハーサルと軽い食事をすませた私は、カメラを手にしてひとりで会場の周辺を歩いた。

演奏会場のある静かな山の上から見下ろす海にゆっくりと沈んでいた大きな太陽は、最後の勢いをつけて消えた。海は黒い空と一体になった。そして演奏会に来るお客さんたちが次第にあたりを華やかにしていった。

その時、突然、黄色い一輪のハイビスカスに出会った。カッと花弁を開き、可憐と情熱を秘めたように、夕暮れの中にポツンと咲き、向こうから私の心に飛び込んで来たように感じた。そして、カメラのレンズからのぞいた、その黄色いハイビスカスは、私に向かって何かを語りかけているようだった。

別の時、やはりコンサートでコナに行った。その年、ハワイ島のバナナは、ビールスでやられていた。バナナにはびこったビールスを撲滅するために、全てのバナナの木は薙ぎ倒されていた。切り刻まれて倒されたバナナの幹や葉は茶色くカサカサと崩れていた。

その残骸の間から、何かいたずらっ子のような頭があちこちからのぞいている。近づいてよく見ると、それはパイナップルだった。「なんちゅうあつかましい奴や」「パイナップルの奴、ようやるわ」と思いながら、私はシャッターを押した。

その道すがら、かわいらしいパパイヤの木に会った。繁みの中の低い木に、形のいい緑のパパイヤがひとつだけぶら下がっていた。その姿を見つめていたら、「私もいつか、ひとりで死んでいくのだ」と、ふと思った。そして私は、なんとなくそのパパイヤの木を写してコンサート会場に向かった。

その日のコンサート。コーラスとチェンバーオーケストラの音が、聴衆の心とひとつになり、熱い祈りの炎となって響いた、と、私はそんな気持ちに包まれていた。

(毎日新聞USA連載)

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