Violin弾きのお美っちゃん~1


ハワイぼけ?

十数年前にハワイに来た当初、やはり同じ時期に日本から来ていたある女性と知り合った。東京生まれ、東京育ちで、ハワイには夫の勤務に伴って来ていた。「博物館や美術館、コンサート会場がすぐそばにある東京に早く帰りたい」と彼女は繰り返していた。そばにそういう施設があると、「文化」を感じるらしいのだ。

学生生活と結婚生活を通して、私は京都に長く住んだ。文化と伝統と歴史の町というにふさわしい。博物館の内部はもちろんのこと、その周辺をひとりで散策するのにも、ロマンと文化の風に当たることができると思った。

しかし、美術館のそばに住んでいるからといって、そこの人たちがいつも心の中で美を追求しているわけではない。洪水のようにあふれている音楽会のどれに行きたいかが判断できないでいて、「コンサートホールが近くにあるから文化を感じる」ということでもない。

「ハワイぼけする」ということばをよく耳にする。ところが、「夏休みぼけ」「お正月ぼけ」などとは言っても日本のある地方の地名で、例えば、「青森ぼけ」とか「鹿児島ぼけ」とは言わないし、私は聞いたことがない。

「ハワイぼけ」とは、身も心も定まらない浮かれた気分が、なんとなく継続している状態なのかもしれない。だが、ポワッとした空気の常夏の島にいるから、ハワイぼけするのではないと私は思っている。

日常の循環が淀まずに、その人が心の中で目指すものをもっていることが大切なのだ。心に伝わる周波は、大きな声でも小さな声でもない。速いものでも遅いものでもない。それぞれの「心の内の音」と共鳴したものをつかんだ瞬(とき)に、その地の時空間が、自分自身のものになってゆく。

眩しく、目のくらむようなハワイの大きな太陽の光の輪。真っ青な空と海。吹き抜ける風。それらがただ頭の上を通り過ぎて日々が循環するだけでなく、小さな音の抑揚を聞き、力強い映像を個々の心に焼き付けることが出来るのであれば、そこには、「ハワイぼけ」などという世界はやってこないだろう。

強烈な太陽と、空と海と、その風を受けながら、一見穏やかで何もなさそうに見えるハワイの表層の内側で、大きな「炎」をいだきながら生きている人々を知らずに、ハワイを訪れては去っていく人がなんと大勢いることだろう。

心の中に聞こえ続ける音楽、人々と交したことば、共に過ごした時間……そのひとつひとつが心の奥深いところで形になる。目に眩しいだけではない、そんな「ハワイ」との出会い。心の中から発するものとの絶え間ない「創作」の日々がある。

喧噪の都会のコンサートホールや美術館の壁からは決して生まれない、私自身の内なる炎を持ち続けたいと思っている。

(毎日新聞USA連載)

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