Dr.Yoko Kelley ネブラスカ便り 76


Bohemian Cafeで食事をして外へでると、Prague Hotel 1898年創業のサインが眼に留まりました。Bohemian Cafe はチェコ出身の家族の経営とは知っていましたが、建物がチェコからの移民が旅装を解いたホテルだったとはうかつにも知りませんでした。

早速、手元のオマハの移民史の本を取り出してチェコ人のページを読んでみますと、オマハ市の東端のこの辺りは19世紀末頃はリトルボヘミアと呼ばれていた。1870年以降の米国へのチェコ移民の4分の3はネブラスカに移住した.移住の最大の原因はハプスブルグ家の支配するオーストリアーハンガリー帝国の圧力であったが、同時にアメリカでは農民を必要としていて、ヨーロッパで大々的に移民奨励 (特に中西部へ)の宣伝をしたことにもよる。

Bohemian Cafeに話を戻すと、2代目の経営者はチェコでかなり名の通ったピアニストで作曲家でした。ちなみに、「新世界交響曲」作曲家のドボルジャークもご存知のとおりチェコ人です。ニューヨークに居てホームシックになったドボルジャークはアイオア州のチェコ人の町に滞在中にこの有名な交響曲を作曲しました。

歴史的にも興味のあるところですが、オマハ市民がこのレストランをひいきする理由は、伝統的な中央ヨーロッパの料理を年中食べられることでしょう。


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