2006年度 晩夏の情景

9月3日(日曜日)

 10時30分過ぎにホノルル空港に到着。空港へはシェリルが迎えに来てくれた。車の中では、自分自身や家族の話などをした。そのまま車に乗って、昼食を食べに飲食店が立ち並ぶところに行き、チーズバーガーを食べた。日本と比べるとバーガーが大きかった。でも、食べ応えがあっておいしかった。

 昼食後、家に行き、いったん荷物を置いて買い物に行った。途中でシェリルの夫キースの職場のカーペットショップに寄ってキースに挨拶した。そのあと、ショッピングセンターに行き枕を購入。洋服や雑貨なども見て回った。洋服はMサイズでもかなり大きくて驚いた。日本のMサイズがこっちではSサイズ位の感じだった。

 買い物が終わると家に戻った。途中、シェリルがキースに渡したいものがあるからと言って、途中キースの職場に寄った。小包を渡すように頼まれて、キースの所まで届けに行った。ちゃんと用件を伝えて渡すことができるか少し不安だったが、何とか渡すことができた。

 家に戻って、自由な時間があったのでシャワーを浴びて、2時から5時までの3時間くらい眠った。シャワーは今まで見たことのないタイプの物だったので少し戸惑ったがどうにか浴びれた。

 5時過ぎにキースが帰宅して、それから準備をしてキースに連れられバーの様なところで行われるパーティに参加した。そこで食事をしたり、ダーツをしたりしながらそこにいた人達と話しました。食事はバイキングでした。枝豆やチャーハンのようなもの、ガーリックチキン、骨付きカルビなどがあり、少し味は濃かったけどおいしかった。ケーキもあったので食べてみたけど、クリームは砂糖の粒が荒くて少し甘すぎました。ダーツはあまりしたことがなくて、なかなかうまくいかなかったけど、Gigetやキースと一緒にやって楽しかった。パーティではGigetの他にも、ハワイの牛角で働いていて日本語も話せるリサや、鉄板焼のお店でシェフをしているニック、次の日に訪れる予定だったギャレット、ドナ夫妻など色々な人と知り合えた。

 9時過ぎにパーティーが終わり帰宅。帰りの車で突然、キースがボイスパーカッションをやりだして、「ラップ歌えー」みたいな事言ってきたから「take it out!」、「Come on!!」、「Yeah!!」とか適当な事を言った。キースは冗談を言ったりお茶目な感じで面白かった。

 家に帰るとまずナコスに電話をして、中村美智子さんと話しをした。そして2階でアイスを食べながら少しシェリルとキースと話しをした後、1階に降りて30分くらいX-BOXをした。その後、シャワーを浴びて寝る準備をしていたら、次の日の海に持っていくバーベキューの下ごしらえを手伝うように言われ、2階で準備をしていた坊主頭のニックとサーファーのナオミの手伝いをした。ひたすら野菜を串に刺した。1時くらいまでやった後、就寝した。

9月4日(月曜日)

 朝8時に起床して2階で朝食を食べた。ライス、スクランブルエッグ、ハム、リンゴ、桃、パン、納豆、オレンジジュースがあった。ニックが冷蔵庫から納豆を出して食べていたのと、ナオミが桃にチーズをかけて食べていたのは少しびっくりした。

 10時半頃にニックとナオミと家を出て、ラニカイビーチに向かった。ラニカイビーチはシークレットビーチの様な感じで、とても奇麗だった。ハワイの海を初めて近くで見てとても感動した。沖縄の海も奇麗だったが、それよりも奇麗だったように思えた。

 ビーチにはニックとナオミの仲間達も大勢来ていて、総勢20人くらいはいた。ビーチでは海で泳いだり、食事をしたり、音楽を聞いたりしながら過ごした。あまり他の人と長く話しをすることはなかったが、日本に友達がいるというシャーメン、ハワイで日本語と英語の先生などをしているジュリとは少し長く話せることができた。ジュリは日本語を話すことができたので、ハワイの人達の生活ぶりなどを教えてもらった。

 昼食はおにぎり、焼いた肉をはさんだハンバーガー、野菜の串、チキン、豆の入ったカレーのようなもの、ソーセージを食べた。ソーセージは真っ赤だった。

 海の中に入ってみると中が透き通っていて、自分の足の先まで見えるくらいだった。日本では、そんな海はほとんどないと思う。ビーチでギターも弾くことができて気持ち良かった。四時過ぎまでビーチにいたが、天気がよく日差しも強かったので、その日のうちに真っ黒になってしまった。ローションも塗っていなかったので、すごく体がヒリヒリした。家に帰った後、シャワーを浴びて着替えた。

 そして、7時過ぎにキースに連れられて、理学療法士で自宅でクリニックを開いているギャレットと言語聴覚士として働いていたドナの家に夕食を食べにいった。カレーとギョウザをご馳走になって、チョコレートケーキもいただいた。

 食事が済んだ後、ドナに質問をして、ハワイの言語聴覚士の事や自閉症やダウン症などの子ども達の教育についてなど、現地の貴重な情報を教えていただいた。すべて英語でのやり取りだったため、少し誤って理解している部分もあるかもしれませんが、やはりアメリカでの自閉症、ダウン症、難聴、脳性麻痺、などさまざまな障害への社会全体としての向き合い方に違いを感じた。

 日本ではハンデキャップをもつ人達は別の学校(聾学校など)であったり、特別学級であったりと、健常の子ども達とは別れて生活を送るようなシステムが多く見られますが、ハワイではほとんどのそうした障害を抱えた子ども達が中学校くらいまでは健常の子ども達のクラスに入っていて、ともに日々の生活を送っているらしい。だから、ハワイにはハンデキャップをもった子ども達だけの学校というのはほとんどなく、プライベートな感じで2つ3つあるくらいだと聞いた。健常の子ども達と同じクラスで生活する代わり、各々の学級には特別な資格をもった教師(日本にはたぶんそういう資格はないと思う)がそれぞれいて、普通の教師と一緒に授業中にそうした障害を抱えた子ども達のサポートや普通の教師へのサポートを行っているらしい。

 また、学校に一人は必ず言語聴覚士がいるらしく、日本には学校にいること事すら珍しいと言うと、ひどく驚かれていた。やはり、日本の言語聴覚士としての立場やそうした分野の社会的取り組みや制度などは何十年も遅れているというのは正しいのかもしれないと思った。

 コミュニケーションボードもコンピューターをつかったもので、自分がまだ習っていないかもしれないけど、そうしたものは初めて見たのでとても興味深かった。

 一通り話しをし終えるとギャレットさんが診察室の方に呼んでくれてギターを見せてくれた。エレアコだった。すごくいい音がするギターだった。レコーディングができる器材も揃っていて自分で作った歌もそこで録音しているようだった。ギターもすごくうまくて、実際に演奏してくれた。娘のKariはフラダンスを披露してくれた。ダンスもすごく上手で、一緒に踊ったりしてすごく楽しかった。それから「森のくまさん」や「かえるのうた」をKari とその妹のface-joyが好きらしくギャレットのギターに合わせて日本語で歌った。それを録音したけれど、途中の歌詞がわからずすごく適当に歌ってしまい、きっとそのまま覚えてしまうんだろうなと思うと少しおもしろかった。他にも治療用のジャグジーを見せてもらったり、ダーツをしたり、ウイイレを弾かせてもらった。木曜日にはギャレットがライブをするらしいので、是非、見にいきたいと思った。Kariとface-joyと遊び終わると、キースの車で家に戻り、この日は特になにもせず、次の日に備えて寝た。

9月5日(火曜日)

 7時45分頃に起床、8時15分くらいにキースとシェリルとカネシロ家を出た。途中、シェリルが病院に寄るのでいったん車から降りて、キースと一緒にマクドナルドで朝食を食べに行った。マックマフィンとアップルパイ、ヨーグルトを食べた。その後、シェリルの分を持って車でシェリルを病院まで迎えにいった。シェリルは職場のアラモアナショッピングセンターの近くの美容院に行くらしく、そこでお別れした。マックマフィンをいらないと言ってくれたので食べた。

 そして、アラモアナショッピングセンターに行き、ナオミに会った。ナオミはスーツを着ていて家の時とは雰囲気が違った。ナオミに挨拶してお別れした後、キースの車でこの日からしばらく泊まることになるコンドミニアムに向かった。

 10時30分くらいに着くと美智子さんが出迎えてくれた。チェックインは14時からでコンドミニアムの料金は17時に支払いだったので、いったんナコスへ歩いて行きました。美智子さんは15分くらいで着くって言ってたけど、意外に遠かった。そして、美智子さんは歩くのが速かった。ナコスに着いたら修三さんと初めて会って、ハワイで学んでほしいものなどについて話しを聞かせてもらった。

 英語を話そうと思うな、ということ。信頼関係からコミュニケーションは生まれてくるからその信頼関係をどのようにして作っていくかということ。出会う人それぞれが何という名前か、どんな人で何が好きなのか、何人兄弟がいて、どんな生活をしているのか。英語ばかりにとらわれて、形ばかりを気にして、そうした具体的な「その人」についての事や、自分のことについて伝える事がおろそかになるのではなく、言葉以外の方法でコミュニケーションはとれるし信頼関係は作っていくことができるという事を体験してほしいということだった。なるほど!と思わされた。

 それから、この日話すことほとんどできなかったけど、東京から1人でナコスを利用してハワイに来ていた猪股利枝さんにも会った。いったん少し外に出て探索して見た。ダイエーがあったので入って見た。

 水を買った。アメリカでの初めての買い物!!ちょっと緊張。価格表示が税込みではないので会計の時に少し戸惑ったが、なんとか買うことができた。

 ナコスに戻ってハワイに来てからその日までにあった事をまとめるため(ジャーナルとよばれている)、パソコンの前に座り、ハワイに来て、1日目、2日目の事をまとめた。

 その途中、何人も人がナコスには訪れた。後半にファミリーコンタクトをさせてもらう事になっているシンディ、利枝さんを迎えに来たクリスティーナ、そしてナコスのホームページ制作などもしているサムと会いました。シンディとはあまり話さなかったけれど、クリスティーナとは少しだけ話しをした。

 サムとはテーブルを囲んで少し長い時間を取って話すことができた。彼は絶対菜食主義者である。彼は日本語を勉強しているらしく、日本語と英語を交えて音楽のはなしなどできて楽しかった。「饅頭こわい」の落語も披露してもらったし、ハードロックが好きだったということも聞いた。13歳からギターを始めて、サックスもしたし、ピアノもしていたらしい。すげぇ!と思った。今はアコギを弾いているらしい。ハードロックもディストーションを効かせてアコギでやるらしい。いろんな楽器に興味があるらしく、今は尺八に興味があるのだという話しも聞かせてもらった。そして9月には尺八を求めて九州にいくらしい。熊本に行くと言っていた。また、後日、会う機会があるということでそこで色々な話しが聞きたいと思った。

 17時前になると、一度、コンドミニアムにチェックインして料金を払うためにコンドミニアムに戻った。部屋に荷物を置いて、またナコスに戻った。疲れる。そして、ジャーナルの続きを書いて、ダイエーで食料を大量購入して、修三さんに送ってもらってコンドみにアムに戻った。

 ダイエーで驚いた事は、ビッグサイズのものが多いということだ。牛乳はでかいし、バターもでかい。卵もいっぱい入ってるし、肉も豪快に詰めてあった。でも肉は安かった。それからすごい形(瓜がかなりでかくなったような)スイカを発見した。卵コーナーの卵は割れたい放題、牛乳コーナーの牛乳は漏れたい放題だったのがすごかった。やはり、日本人は清潔好きで繊細なのかなと思った。

 夕食は乳麺とお茶漬けを食べた。日本の味だった。ギターが少し壊れていたのがショックだった。(ボディの端の部分がわれた)演奏にはたぶん支障はない。 すごく疲れていたので風呂に入って、水を飲んで特になにをするわけではなく寝た。

9月6日(水曜日)

 自分だけ2時間早く、11時にナコスに行くといっていたのに起きたら10時30分だったのであきらめてみんなと同じ時間に行くことにした。今までの疲れが全部でた感じの朝だった。でも良く眠ったので明日からはまた復活できるだろう。サンドイッチを食べて、色々と2人が洗濯とかしてくれている間、申し訳なくも寝ていた。ごめんなさい。今度は僕が食事の準備させていただきます。

 この日はハワイで総合内科医師をしている小林先生と会うので1時にナコスに行き、3人で質問を考えた。質問を考え終わった後、昨日会った猪股利枝さんと話しをした。聞いてみると彼女も同じ年、同じ学年だった。学習院大学の国際コミュニケーション学科に通っているらしい。東京生まれの東京育ちだそうだ。おなじ年の日本人の友達ができて嬉しかった。ミクシーをしているらしいのでマイミクに登録しなければ!!

 そして4人で美智子さんに連れられて聖ルカ病院に行った。病院はすごく奇麗だった。病院の外観も中も日本と比べると数段お洒落だった。病院臭いこともなかった。受け付けはできたての歯医者みたいな感じだった。

 そこで小林先生と会い、40分くらい話しを聞かせてもらった。医者同士の抗争のはなしなどなかなかフランキーに話してくれたりして面白かった。小林先生の経験からハワイでの医者の立場や日本との違い(社会保険制度など)について話しを聞いた。話しを聞いていて、すごく頭のいい人なんだろうなと感じた。日本では英語が話せるということで横須賀の海軍基地でアメリカ人を診ていたらしく、ハワイでは日本語が話せるということで日本人を診ているらしい。東京大学の文学部を卒業したが実学の方がいいと思ったので神戸大学の医学部に入ったと言うのを聞いて、やはりただものじゃないと思った。

 小林先生も修三さんも言っていたが、日本でいくら英語ができる、英語に自信があるといったって、ネイティブの人からすると全然違うものであるらしい。修三さんは、そうした中で、英語に自信があるからなんて言って自分に酔って話しをする人、相手が何を言っているかもよくわからないまま形式的に会話をこなそうとする人よりも、稚拙な英語しか話せなくてもその相手としっかり関わろうとする姿勢であったり、自分の事を伝えたい、相手のことをもっと知りたいという純粋な気持ちで接する人のほうが言葉が通じなくても、いい関係を作ることができるというようなことを言っていた。

 話しが終わり病院を出て、ジャーナルを書くためにナコスに戻った。ナコスに戻って、ジャーナルを書こうとしていたら、Alison Changがやってきた。彼女は27歳でホノルル市内部のホームページを作ったり、コンピュータープログラミングしたりなどパソコン関係の仕事をしていて、ナコスのホームページの作成にも携わっているらしい。少し話しをすることができて、婚約した話を聞いたりや、おいしいレストランを教えてもらったりした。婚約指輪はすごく奇麗で、ダイヤがすごくキラキラしていた。

 アリソンさんと話し終わってジャーナルを書いていると今度は高校教師をしているAndrew Kiyoshi Suenobu が来た。ハワイの高校の話しや学年の制度などの話しを聞いた。アメリカでは小学校6年、中学校2年、高校4年らしい。またクラス分けなどもなく、必修科目である英語(国語)、社会、理科は集団で受けるがそれ以外は選択。大学のような感じだと聞いた。また、スペシャルエデュケーションの事についても聞きました。やはり学校には必ずこのスペシャルエデュケーションの資格を持った人がいるようだ。

 その後、ジャーナルを書き終わって、19時過ぎにナコスを出た。途中、ダイエーに寄って水とヨーグルトを買った。日本にいる時からそうだったが、こっちにきてもかなりの量の水を消費している。1日2リットル以上は必ず飲んでいる。ハワイでは日本のように汗はかかないので、頻尿になった。

 コンドミニアムに戻ってフロント前のドアをあけようとするとなかなかうまく開けることができなかった。見かねたフロントのおじさんが声をかけてくれて「push!!」「pull」とかいいながら開けてくれて、「easy!」と言って笑っていた。ありがとうございました。

 部屋に戻って、シーフードカップラーメン2つを3人で分けて、その後カレーを作って食べた。お米は水を入れすぎて炊いてしまったように見えたが、食べてみると普通より少し固いくらいだった。カレー食べた後はヨーグルトを食べぐだぐだと話しをして、風呂に入って2時くらいに寝た。シャワーカーテンの使い方がいまいち分からなくて足拭きマットをひどく濡らしてしまった。でもこの日で使い方が分かったから、次の日からは大丈夫だろう。

9月7日(木)

 朝8時30分過ぎに起床。朝はパン2枚と前の日のカレーの残り、ヨーグルトを食べた。9時40分頃に家を出てナコスに向かう。やはり、15分で行くのは困難だ。10時頃ナコスについて、修三さんからセルフポートレートをもらい、セルフポートレートと小話しについての説明をうけた。「饅頭こわい」の話しの意味をやっと理解した。サムのポートレートや小話しを日本語で聞くと、とても難しい話しをしていたので、これをすらすらと話せたら、それを聞いた日本人はびっくりするだろうなと思った。

 説明が終わった後、セルフポートレートを実際に声に出して何回か読んでみた。初めて声に出して読んでみたが、書いている内容は自分で分かっているので、比較的、読みやすかった。何回か読み終わった後、今度は小話しを考えるため美智子さんと一緒に話しをした。自分の名前の由来や生まれるまでのエピソードなどを話した。自分の兄弟の名前の由来を聞かれたがいまいち分からなかった。親にまた聞き直さらなければ。

 3人の各々の話しをし終わった後、昼食を食べにいった。近くの韓国料理を売っているスーパーの所へ行き、スーパーの前にあったお店で牛丼を買った。ナコスに戻って昼食を食べた後、りぃちゃん(猪股利枝さん)も一緒に4人で美智子さんに連れられて、シュライナー病院のアン・ケリーさんとコリーンさんに会いに行った。

 このシュライナーズ病院はすべて寄付による集金で成り立っていて、医療費も銀行に預けた寄付金から支払われるので、この病院に入院している子ども達の家族には医療費の負担はいかないということらしい。日本にはこんな病院はないと思う。世界にはたくさんあるのだろうか。この病院には世界中の国から子ども達がやってきていて、日本からも25人の子ども達がきていて、沖縄からは62人の子ども達が来ているそうだ。

 アメリカでは患者のプライバシーに関して政府が非常に厳しく、直接子ども達を見ることはできなかったけれど、アン・ケリーさんとコリーンさんは終始丁寧に説明してくれた。

 病院の中は実際に一通り見学させてもらった。義足や義肢などはカラフルにデザインされていて、子ども達はかわいいデザインがあったほうが喜ぶからこうしていると言っていた。

 一通り見学し終わるとカンファレンスルームに戻り説明を聞いたり、質問をしたりした。カンファレンスルームはイメージしているものよりも広く大学の大講義室の4分の1くらいのおおきさだった。日本のカンファレンスルームのイメージは会議室に長机があってという感じだったので少し驚いた。最後は一緒に写真を撮って、名刺をもらい、レイをもらって病院を出た。

 ナコスに着いてジャーナルを書いていると、サムがやってきた。しばらくして、サムと一緒に話しをした。まず、セルフポートレートを日本語で読んで、ギターの話しやサムさんのバンドの話しを聞いた。初めは3人でやっていて、次は4人でやっていて、その次は5人でしていたらしい。ギターボーカルをしたり、ベースをしたり色々なメンバーやバンドでしていたらしい。ホワイトゾンビというバンドと同じ様なスタイルでしていたこともあるらしい。また、軽音楽を直訳するとlight musicだが、それはクラシックやジャズのような音楽をさすらしいということも聞いた。土曜日はギターショップにも連れていってくれるらしいのですごく楽しみだ。

 ナコスでジャーナルを書き終わった後、りーちゃん(猪股利枝さん)がコンドミニアムに来ることになったので、一緒にダイエーに買い物にいった。ブロッコリーとパンと水とヨーグルトを買った。

 コンドミニアムに着いて、スパゲッティを作って食べた。食事での会話で、帰り道で「popopopopopopopo!!!!!!!」と叫んでいた?人の話しくらいになってから、みんな笑いが止まらなくなって大変だった。それから、マヨネーズをハワイにいる間に使いきる為に大量消費したので、それも大変だった。食べ終わって、ナコスからの電話がかかってくるまでの間、皆でクッキーを食べながら宇宙人の話しで盛り上がった。ナコスから電話がかかってきて、皆で下に降りてりーちゃんを見送った。その後、少しだけ近くのお店をぶらぶら歩いて回ったが特になにも買わずに帰った。日本の友達へのお土産はなんにしようか。。。コンドミニアムに戻ってからは、風呂に入ってヨーグルトを食べて寝た。

9月8日(金)

 朝8時30分過ぎに起床。朝食はパン、オムレツ、レタス。9時30分に出て歩いてナコスまで向かう。10時に到着。この日はまず、修三さんが以前ナコスを利用した人達のアルバム写真を見せてくれて、話しをしてくれた。

 もうすぐ60歳になるくらいの年齢で、英語をほとんど話すことができない女性が、ファミリーコンタクトの最初の時に、その家族全員の名前を手に書いてどの名前が誰なのかを聞いて回って、その作業にの時間はかかったが家族の人達はとても嬉しそうに自分達の名前を教えてくれて、それがきっかけとなって言葉が通じなくても強い信頼関係を作ることができたという。

 また、そこでの食事で家族の人達が余った白米を捨てようとしたのを「何で捨てるんだ」と怒って、その残った白米で日本風の焼き飯をつくった。すると、その焼飯を食べた家族はひどく感激し、彼女に尊敬の気持を持ったという。そうしたことがあってから、彼女は英語がほとんど話せなくてもその家族と強い信頼関係を作ることができ、家族の人達は彼女が言葉の意味を理解できるまで何度も言い直してくれたり、伝えようとしてくれたらしい。

 臨床心理学でもクライエントにカウンセリングなどのアプローチをするにあたって、一番大切な事となってくるのがこの信頼関係づくりである。いわゆる「ラポール」の形成というものだ。

 しかし、この「ラポール」の形成は特別な場面でのみ要求されるものではないということをナコスでの体験や話しを聞いて改めて考えさせられる。信頼というのは見知らぬ人との間でも、友人の間でも、恋人の間でも、家族の間でも、職場の相手でも、あらゆる人間と人間との関係を作っていく上で必要となってくるものである。そしてそれは国家や政治や宗教にも求められるものになる。

 つまり、信頼というのは、人とその対象となるものの結びつきを強化していく為に最も重要で、もっとも根本的なものになってくるものだと思う。そして、日常での人と人との信頼づくりの中で一番大事になってくることとは、「当り前のことを当り前にする」ということである。

 今日の修三さんの話しにもでてきたが、このことは自分が高校の時、野球部で一番の目標に掲げられていたことでもある。高校の監督から一番強く、耳が痛くなるほど聞かされた事は、「当り前のことを当り前にする」ことは、「自立した人間」に近づくということ、「自律できる人間」になるということであり、この事を満たさずにはエリート集団ではないメンバーで、甲子園で勝てるチームには決してなることはできないという事だった。

 野球はチームプレーを要求されるがその作業自体は常に単独で行われるものである。キャッチャーにボールを投げるのも1人。それを獲るのも1人。それを打つのも1人。その打った打球を処理するのも1人。この1人1人の単独作業が関連性を持つことでチームプレーが初めて成立するのである。

 ピッチャーがストライクを投げなければ、誰もどうすることもできない。バッターが打たなければ、野手がボールを獲らなければ。。。何も成立しない。カバーをすること、つまり打てなかった人の分まで打つ、エラーした人の代わりにボールを捕るということもそれぞれの単独作業によって成立している。「つまり当り前の事を当り前にする」ということは各々の自立、自律を促すことであり、それらは「自分」と「野球」という対象との信頼関係をつくりあげていく物になるのだと思う。

 このことは野球だけではなく人と人との関わりでも同じであると思う。つまり人との信頼関係を作り上げていくためには「当り前の事を当り前にする」こと、「自立した人間」、「自律できる人間」になることが必要になってくるのだと思う。

 「当り前の事を当り前にする」という事はできるようでなかなかできない。それは高校時代に強く実体験として感じることができた。しかし、人と関わって生きていく以上このことは常につきまとうテーマであることには違いないと思う。

 今日の修三さんの話しが、自分の高校の野球部での話しと結び付いたし、改めてそんなことを考えた。でも、うまく文章にできない。。。自分と野球との話しが、自分とほかの人との関係の話しと結び付いた感じ?よくわからないけどそんな感じだ。

 話しが終わると、セルフポートレーとの練習を少しした。

 11時過ぎにナコスを出て、昼はデイビッドさんにメキシコ料理をご馳走になった。レストランまでは修三さんに送ってもらって美智子さんと一緒に行った。

 メキシコ料理はかなりおいしかった。辛かったけど。チキンタマルというメニューがあったので名前だけで注文した。タマルは大学のチューターの教授の名前だったので気になったからだ。シーフードサラダが個人的に一番好きだった。たくさんデザートも出てきて、かなりの大満足。とてもおいしかった、ほんとにデイビッドさんには感謝だ。アボガド料理やタコスも食べた。メキシコ料理店には初めて行ったけれど、とても好きな味だったので日本でも行って見たいと思った。

 最後はサンキューカードを書いてチップと一緒に渡して店を出た。デイビッドさんはとてもやさしい人で日本語も上手だった。

 店を出た後、美智子さんも一緒に薬局へ行き、それから4人でアラモアナショッピングセンターを見て回った。まずローションを売っている店に行った。意外にいい匂いだったし、みんなも買っていたのでつられて3つローションを買った。その後は洋服を見て回ったり、茶葉を見たりした。

 17時に3人だけナコスに戻った。それからジャーナルを書いた。20時30分くらいまでジャーナルを書いて、それから歩いて帰った。夕食は昼のメキシコ料理の残りを食べた。食べ終わった後は、しばらく話しをして、その後は風呂に入って、ヨーグルトを食べて、藤岡にギターを少しだけ教えて寝た。

9月9日(土)

 朝6時30分に起床。パンを2枚食べて7時30分にコンドミニアムを出発。8時頃、ナコスについた。サムさんが健康診断を受けるため、小林先生がいる聖ルカ病院まで歩いて行った。病院に着いてサムさんの健康診断が終わるまで待合室で待機。サムさんの健康診断が終わって、小林先生も一緒に戻って来たのでその時にサンキューカードを渡した。

 9時頃病院を出て、アラモアナショッピングセンターに行った。まずサムさんがコーヒーを飲みたいと言ったのでコーヒーショップに行った。自分はエスプレッソを頼んだ。

 その後、シロキヤに入り、サムさんが饅頭を買って、その後、appleに行ってPCやi-podを見て回った。i-pod mini のカスタムを探したがミニはもう製造されていないので付属品も置いていなかった。それから店のPCを使ってサムさんがインターネットで無料のOSについてのページを見せてくれたが難しくて良く分からなかった。

 店を出て、clair’sというアクセサリーショップに行った。サムさんが「2品」の読み方を聞いてきたので教えてあげて、あまり普段は使わないということを教えてあげた。

 その次は、Hot Topicというロック系のお店に行った。バンドTシャツやCDがたくさん置いてありとても楽しかった。Doorsというバンドの人とサムさんがいとこだということにびっくりした。その人はTシャツになっていた。他にもサムさんはグリーンデイやクイーンなど自分が好きだったバンドをいくつか教えてくれた。日本に帰る前にあのお店はもう一度行きたいと思う。

 その店を出ると、今度は薬局に行った。薬局を出ると、メキシコ料理を食べたコンパドレスのあるショッピングセンターに向かった。コンパドレスの隣を通って雑貨屋に行った。犬のぬいぐるみや幼児用品があった。

 次にギターショップに行ってアコギ、エレキとウクレレを見た。ギターは日本よりもかなり値段が安かったように思えた。ボディの細い不思議な形をしたギターがあった。アコースティックのやつ。なんだろう。マンドリンも見た。エレキマンドリンがあってびっくりした。おもしろかった。

 その次はハワイの民芸店みたいなお店に行った。絵本コーナーで絵本を物色したら気に入った絵本を見つけたのでおみやげに買った。それからポストカードも買った。

 そして、イタリア料理店にいき昼食を食べた。スープとサラダとガーリックがのったピザを食べた。サムさんがみんなにピザを頼んでくれたが、それがすごくおいしかった。サムさんは絶対菜食主義者なのでサラダサンドイッチを頼んだがバターとチーズは抜いてもらっていた。また、それを聞いたお店の人が「ベジタリアンなのか?わかった。」みたいな事を言って普通に応対していたのを見て、しっかり理解があるんだなと思った。日本ではどうだろう。

 それから、サムさんがベジタリアンになり、絶対菜食主義者となった経緯も少し聞くことができた。15歳の時にベジタリアンになり、21歳の時に絶対菜食主義者になったらしい。そして、サムさんは自分を環境保護論者だと言っていた。動物の製品も買わないらしい。でもギフトでは受け取るみたいだった。また、なぜ絶対菜食主義者になったのかという質問には動物が好きだから、動物のものをとるべきではない、健康のためといったような事を言っていた。また、サムさんは無神論者ということも言っていた。彼は誕生日と結婚記念日と新年以外は特別な祝いごとをしないという。クリスマスは好きじゃないと言っていた。それから、ドル札の裏などに書かれてある「IN GOD WE TRUST」という言葉は少し変だと言っていた。アメリカでは神を持たない人、宗教を持たない人も多くいるのに国家のお金にそういうことを書くのは変だと言っていた。食事中は映画の話しなどをした。アメリカの映画館は映画代も安く、ポップコーンも食べ放題ということを聞いてとてもうらやましかった。

 食べ終わって店を出て、今度は映画館に行った。異国で初めて自分で映画のチケットをかった。映画は英語だけで日本字幕はないので分かりやすいコメディにしようということになった。でも、どれがコメディかよく分からなかったのでタイトルで選んだ。「Little Miss Sunshine」という映画を見ることにした。映画は思ったとおりコメディで最初の方は少し何をいっているのか分からず笑いについていけなかったど、最後のほうはかなり楽しめた。おもしろかった。

 映画を見た後は、1階が本屋になっていて、2階がCD屋になっている所に行った。そこには結構長い時間いた。日本人の変な発明品を集めた本が面白かった。CDコーナーではアコースティックブラジリアンミュージックを買った。そこを出て、ナコスに帰る途中にビデオレンタルショップに寄った。改造人間キカイダーという見たことのない日本映画みたいなものがあった。そしてそこをでて、ナコスに帰った。サムさんとは日本語と英語を交えながらいろんな事を話すことができて楽しかった。それから会話のなかから愛犬のエリオットがすごく好きだということが伝わった。

 サムさんと分かれて別れたあと、ナコスに戻ったが、今日はゆっくりしろと言われすぐに帰った。夕食はカップラーメンとサラダを食べた。そのあと、今日あったことを言い合って、少しだけギターを2人に教えた。この日はみんな疲れていたらしく風呂もはいらず寝ていたが、自分は明日が2人よりも早かったので風呂に入って寝た。この日は初めてソファベッドではなくベッドで寝た。ヨーグルトはグリーンティ味を食べた。あまり好きじゃなかった。

9月10日(日)

 朝9時起床。朝食はパンとヨーグルトを食べた。9時40分頃家を出て、10時くらいにナコスに着いた。この日は自分だけ早くナコスに来た。ナコスに着くと、まずフリッカーの使い方を教えてもらった。そして登録をして画像をアップして実際にそれを利用してブログを書いた。ハワイに来て初めてのブログ。こっちに来て、日本にいる友達や家族はあいつなにしてんだろうと思ってるだろうからハワイに来てからの1週間を簡単にまとめた。結構、時間がかかった。でも振りかえってみると、けっこういろ色んな人にあったなぁと思った。後1週間、いろんなことを吸収して帰りたい。

 ブログを書き終わった後は、ナコス長屋のページを見せてもらい、ナコスのコンセプトなどを読ませてもらった。「ことばが先行するのではなく、こころが先行する」とホームページの最初には書いてあった。でも、確かにそれをナコスに来て体験できてるなぁと思った。日本に帰ってからもブログを利用して、いろんな関係を作っていけるように頑張りたいと思った。自分はめんどくさがりなところがあるけど、自分を変えるチャンスでもあるからがんばりたい。

 12時過ぎになってりぃちゃんがきた。1時前に韓国料理があるスーパーに行って昼食を買った。肉と葱みたいなものが入ったパックを買ったのだが、自分は下にご飯があると思っていた。でも、いざ開けてみると中に米なんてどこにもない!!頑張って食べたけど牛肉ばかりで飽きた。失敗だ。しかも葱だと思っていたのは葱ではなくて、なんかもちみたいだった。トッポギというらしい。残った分は冷蔵庫にいれて、夜に米と一緒に食べることにした。

 1時30分くらいになって2人が来た。そしてジャーナルを書いていると、野球少年のトラヴィス君がやってきた。トラヴィス君は今15歳で将来はプロになりたいらしい。それから歯科医師にもなりたいと言っていた。自分も野球をしていたので日本語で野球の話しをした。それから、トラヴィス君の日本語の練習の手伝いをした。野球にまつわる話を日本語で練習していたので漢字の読みやイントネーションなどを教えながら一緒に読み込みの練習をしていった。

 今度の10月の自分の誕生日にはお父さんの前で発表をするらしく、一生懸命頑張っていた。日本語は聞き取りは比較的できるが話すのが難しいと言っていたが、あれだけ言葉を理解できて話せるのはすごいなと思った。読み込みの練習が終わった後はトラヴィス君は汗をかいていた。すごく頑張っていたので来月の発表は是非成功させてほしいと思った。3時過ぎにトラヴィス君は帰った。

 4時頃にシンディさんがりぃちゃんを迎えに来る予定だったので、それまで4人で話していたら、シンディさんがなかなか迎えに来ないまま時間が過ぎていった。その間、方言の話しやバンドの話しなどをした。5時前くらいになってシンディさんとご主人のトムさんが迎えに来た。トムさんはフィルムケースを3階まで投げようとして、届かずに2階に落ちてしまい、2階まで拾いにって3階に上がらないといけなくなっていた。「That’s funny!!」と言って笑っているのを見てとてもユニークな人だと思った。りぃちゃんは次の日に日本に戻るのでこの日でハワイで会うのは最後になった。また日本でも会えるといいなと思う。

 りぃちゃんが帰った後は、ジャーナルを書いた。2人がセルフポートレートの読み込みなどであくせくしている間もジャーナルをずっと書いていた。気付いたら、結構、遅い時間になっていた。20時30分くらいまでナコスにいた。

 この日はだいぶ遅くなってしまったので修三さんがコンドミニアムまで送ってくれた。この日は、昼に食べ残して取っていた、牛肉とトッポギが真っ赤に染まった韓国料理とご飯を食べた。チャーハンも少し食べた。その後はクッキーを食べて、ココアを飲んで、話しをして、セルフポートレートの練習を少しして、風呂に入って寝た。この日は2日ぶりにまたベッドで寝た。

9月11日(月)

 朝9時過ぎに起床、パン2枚とヨーグルトを食べて、9時40分頃にコンドミニアムを出発。10時頃にナコスに着くと、デイビッドさんがいたので、この前のメキシコ料理をご馳走になった時のサンキューカードを渡した。

 書いてある日本語を声に出して全部読んでいた。ひらがなをひとつずつ一生懸命読んでいる姿はかわいかった。喜んでくれて嬉しかった。その後、少しだけ話しをした。ハワイの島についての話しをして、島の名前を教えてもらったり、すべての島を見るとビッグフットの足跡のように見えることも教えてくれた。日本の話しも、地元のはなしなど少しした。その後は、それぞれのセルフポートレートを読んでもらい、録音してもらった。自分のセルフポートレートを読んでもらっている時にデイビッドさんと誕生日が同じだということが分かってびっくりした。うちの兄も同じ誕生日だと言ったらさらに驚いていた。その後、デイビッドさんの奥さんをインターネットで見せてもらった。とても綺麗な人だった。

 デイビッドさんが帰った後は、しばらくセルフポートレートの練習をした。全然うまく読めない。妙に力んで全部に力が入ってしまう。どんな風に読めばいいのかがイメージが持てない!!持ったつもりでもうまくいえない!!難しい。。。頑張る。最初、指導は修三さんに少しやってもらって、その後は美智子さんにやってもらった。

 練習していると、ウインターさんがやってきた。小学校の先生をしているらしい、とても笑顔が素敵で楽しい人だった。簡単に自己紹介をした後、一緒にダイエーまで昼食を買いにいった。チーズバーガーとフレンチフライを食べた。

 ウインターさんはゴルフが好きで宮里藍のお兄さんのキャディーをしたこともあるらしい。サンバイザーを見せてくれてとても嬉しそうだった。プロゴルファーのことはアメリカではPGAと言うという事も教えてもらった。

 東京よりも大阪の人のほうが好きだとも言っていた。大阪の人は面白いからいいと言っていた。そういえば、デイビッドさんも言っていた。東京は人が多いし冷たいというような事を言っていた。

 その後、セルフポートレートを読んでもらって、録音をしてもらった。そして実際に自分で読んで見て色々教えてもらった。「th」の発音が難しい。セルフポートレートの練習はもっとしなければ!!感情を込めて読む。何か演劇の練習みたいだなと思った。みんなの前で一度セルフポートレートを読んで、みんなの分も聞いた。今日は練習しなければ。実際にウインターさんに読んでもらって、強弱のつけかたがうまいなぁと思った。

 ウインターさんが帰った後、ジャーナルをしばらく書いていた。途中、サムさんが来て奥の部屋で日本語を勉強していた。その間もずっとジャーナルを書いていた。記憶をたどっていたら頭がぼーっとして、なかなかうまく思い出せないので、いつもジャーナルを書くのが遅い。なんとかしなければ。。

 ジャーナルを一通り書き終わると、今日は早く帰ってゆっくりしていいといわれたので、6時頃にナコスを出て、アラモアナのショッピングセンターを見て回った。まず、茶葉屋さんに行ってダージリンティーを購入。お店の人はわざわざお茶を入れてくれて親切でした。店を出て歩いていると玩具屋があったので寄って見た。おもしろい玩具がたくさんあったので色々ほしくなったけど、豚の玩具を2つだけ購入した。その後、前の週の土曜日にサムさんと行ったHot Topicというロック系のお店に行った。この店はもう一行きたいと思っていたので行くことができて良かった。色々と物色したあと、Tシャツ2枚、ステッカー3枚、ポスター3枚、雑誌とサングラスを一つずつ購入。お金結構使ってしまったけど好きなものをたくさん買えたのでかなり満足した。

 20時30分くらいにアラモアナショッピングセンターを出て、コンドミニアムに戻った。この日は美智子さんがコンドミニアムに来る予定だったので、戻るとすぐにナコスに電話して、15分後くらいに美智子さんが来た。部屋の中を見たり、ベランダから景色を見たり、ギターを弾けといったりして帰っていった。美智子さんが帰った後は、お茶漬けを食べた。その後はギターを弾いたり、話したりしつつ気付いたら寝てしまった。ベッドとベッドの間の空間に収まっているうちに気付いたら寝てしまっていた。

9月12日(火曜日)

 朝9時起床。前の日は風呂に入らずに寝てしまったので朝風呂にはいる。朝食はパン1枚。この日はナコスには2時に行けばよかったので午前中はワイキキのショッピングセンターを見て回ることにした。お店がたくさんあったので色々なところを見て回った。アロハシャツを見たり、ウクレレを見たり、アクセサリーを見たり。ABCマートでお土産を少し購入した。

 こっちに来て初めて両替をした。1万円で83ドルだった。

 88’sという古着屋に行ってシャツを購入した。この店は日本の芸能人の写真もいっぱい置いてあって驚いた。古着屋を出た後は、2人がアイスを食べている間、近くの店を見て回ったり、2人からアイスをもらったりした。その後、横断歩道を渡って別の建物にいき、そこでも色々な店を見て回った。サングラスを購入した。こっちに来て2つもサングラスを買ってしまった。日本でつかうのだろうか。でも、ハワイは色んな所にたくさんサングラスが置いてあって、選ぶのが楽しい。そして値段もそこそこ安く自分の好きなものを見つけられるのでいい。

 そうこうしている内に1時になっていたので一旦コンドミニアムに戻って荷物を置いて、ナコスに向かった。途中、昼ご飯を食べるため、subwayに寄った。注文しようとして4番目のメニューのツナサンドを頼んだら、何かうまくお互い言葉が伝わらず、わけのわからない事になって気付いたら小さいサイズのツナサンドが4つもできていた!!おわー!でもまだ藤岡さんが頼んでいなかったので2つ買ってもらった。ありがとう。今度からは気を付けなければ。言いたいことをちゃんと整理してから頼もう。それから韓国料理が売っているスーパーで水を買ってナコスに行った。

 ナコスについて2人が昼食をとっている間にナコス長屋を見たり、ブログを見たりした。

 しばらくすると、今まで会っていたサムさんではない、女性のSAMさんが来た。簡単に自己紹介をして、しばらく4人で話しをした。サムという名前はニックネームらしく、本当の名前は、CARLIN(コリーン)というらしい。詳しいことは良く分からなかったが、何でもこの名前はあまり良くないということでサムというあだ名になったらしい。

 ハワイで生まれ、10歳までアイオアにいて、18歳までアリゾナにいたらしい。それか生まれ故郷でもあるハワイに戻ってきてずっと暮らしているらしい。マッサージセラピストをしているらしい。

 友達とそのお母さんと3人で暮らしていて、そのお母さんが入院した話しなどを聞いた。エクササイズをするようになって調子が良くなってこの間はついに立つことができたという話しを聞いた。

 それから、年齢の話しで盛り上がった。3人が何歳に見えるかと言う質問をした、サムさんは一人ずつ予想して答えたが全員違った。その後、サムさんの年齢をみんなで予想したが、全員、実際より若いと思っていた。自分は39歳と予想したが、実は48歳だった!!しばらく話しをした後は、セルフポートレートをそれぞれ読んでもらい、録音した。録音が終わると、サムさんは用事があるからと言って帰った。

 その後は、美智子さんにスイカをもらって3切れ食べて、修三さんにナコス長屋に書いてあることや、ナコスを終えた後の関係作りについての話しを聞いた。スカイプにしたら便利だと進められた。長屋を利用して日本に帰った後も、色々な人と関係を作っていって欲しいという事を言われた。

 その後は、しばらくジャーナルを書き続けた。ジャーナルを一通り書き終えると、美智子さんと一緒にセルフポートレートの読み込みの練習をした。紙を見ながら読むもんだと思っていたら美智子さんに紙を取り上げられて、何もない状態でセルフポートレートを言わなければならなかったので大変だった。最初のほうはかろうじて覚えていて、思い出せること多かったが、後半は全然覚えていなかったので大変だった。ヒント出されても分からないし、全部言われても覚え切れないしで大変だった。でも、おかげで少しイメージをもちながら話すことができるようになってきた気がした。

 19時30分頃までナコスにいて、それから歩いて帰った。途中、ABCストアに寄ってお土産を買った。チョコレートと、ナッツと、クッキーと、ボールペンを買った。たくさん買ってしまったけで、もって帰れるのかが少し心配。バッグに全部入るだろうか。帰りの支度は工夫しなければならないようだ。

 コンドミニアムに戻って、そうめんにきゅうりをのせて、マヨネーズとダシ汁に醤油をいれたものをかけて食べた。ちょっと挑戦だったけど、うまかった!!!日本に帰っても作ってみようと思う。その後は、クッキーとココアを食べて、ギターの弦が切れたので張り替えて、少し練習して寝た。弦を張り替えるとき、5弦の張り替えをミスしてしまい、新しい弦が切れてしまったので、5弦だけが古い弦のままになってしまった。少し違和感。。。

9月13日(水曜日)

 朝8時45分頃起床。風呂に入って、朝は昨日の夜に作っていたサンドイッチを2つ食べた。9時30分頃コンドミニアムを出て、10時にナコスに到着。ナコスに着くとwinona molakaさんがもう来ていた。簡単に名前だけ自己紹介をして、話しを聞こうと座ったら、今日は女だけの話しをするからと言われ、修三さんとドライブに行くことになった。

 最初に、アラモアナの隣のダウンタウンに行って、チャイナタウンを通って、カメハメハ大王のイオラニ宮殿と像がある所を通って、そこから少し行ったところにある大きな文房具屋(フィッシャーハワイ)に行った。大きいがぼろくて倉庫みたいな雰囲気だったが、ハワイではきちんとしたきれいなお店よりも、サンダルで気軽にいけるようなお店の方がはやりやすいという事を聞いた。中はいろんなものが置いてあって、売り場と倉庫が隣接ししている感じだった。その後、また少しいった所にあるパソコンショップに行った。アメリカの携帯電話を見た。パソコン型の携帯もあってびっくりした。一通り見て回って店を出た。

 その後は、今度はそことは反対側へ向かった。前の週の土曜日にサムさんと歩いたビーチ沿いのショッピングセンターの通りを通って、ワイキキショッピングセンターを通った。そして修三さんが昔毎日ジョギングしていたというカピオラニ公園を抜けて、ダイアモンドヘッドを車で登った。少し登ると灯台の近くに、海が一望できるところがあり、一旦車から降りて写真を何枚もとった。あんなに水平線が広がる景色を今まで見たことがなかったので、とても感動した。海の色も日本の海ではみられないような濃い青をしていて、淡いブルーとのグラデーションがとても綺麗だった。沖縄の海を見たときも感動したが、ハワイに来て見る海は、沖縄の海を見てからでも、それと同じか、それ以上に感動するものがある。

 しばらくその景色を見た後、カハラの高級住宅街を通って、カハラモールに行った。ハワイはいろんなところにショッピングセンターがあるなぁと思う。中に入り、スターバックスを抜けて、外に出て少し修三さんと話しをした。シンディさんの家では色々な事を感じて、吸収できるように、どんどん積極的に人と関わって行きたいと思った。

 カハラモールを出た後は、アンドリューさんが働いているKALANIハイスクールに寄った。その後、トラヴィス君が通うプナホウハイスクールの横を通って、ハワイ大学の横を通った。ハワイ大学の寮は綺麗で大きかったのでびっくりした。それから、ワイキキが栄える前まで栄えていたらしいカイムキという所を通って、12時過ぎにナコスに戻ってきた。まだ見たことのなかったものを色々と見ることができて、とても楽しかった。アラモアナとワイキキのあたりは何となく自分のなかで地図ができてきた感じだ。でも多分間違っている。

 ナコスに戻って、3人でダイエーの横のフードコートに昼食を買いに行った。ケンタッキーでハニーバーベキューサンドとポテトとペプシを頼んだ。帰りに水を買って帰った。

 ナコスに戻って昼食を食べ終わって、少しゆっくりしているとウインターさん(Winter Mintter)が来た。その後は一人ずつ奥の部屋でウインターさんとセルフポートレートの読みの練習をした。「words」と「th」の発音がなかなかうまくできなくて、練習するようにいわれた。みんな一度練習した後は、みんなの前で一人ずつ発表した。強弱をつけるところを教えてもらったので、できるようになりたい。

 その後、スイカを食べながら少しウインターさんと話しをした。友達が浜松にいてうなぎを食べた、うなぎ丼はおいしい、日本の食べ物はおいしいと言っていた。でも、納豆は嫌いだと言っていた。スイカを食べ終わると、また一人ずつウインターさんと練習した。他の人が練習している間はジャーナルを書いていた。練習が終わってしばらくすると、ウインターさん帰った。帰る前に、みんなで写真を撮った後、握手をしながらまた写真をとった。その後はずっとジャーナルを書いていた。17時頃にアンドリューさんが来た。17時30分頃にジャーナルを一通り書き終えた。

 この日は洗濯をしなければならなかったので、早めにコンドミニアムに戻った。コンドミニアムに戻って、2人が洗濯に行っている間、カップラーメンの準備をして、2人が戻ってきてカップラーメンを食べた。ついでに最後に1つ残っていたカップうどんも食べた。食べ終わったら、今度は洗濯物を乾燥機に入れに7階まで降りた。その後は、少し時間も早かったので少し外を出歩いた。88’sという古着屋に行って、そこにしばらく長い時間いた。ジーンズが安かったので買って、その後はワイキキのショッピングセンターで色々見たが、特に何も買わなかった。コンドミニアムに戻るとドリアのうな創作料理とニンニクを炒めたものが作ってあったのでそれを食べた。その後は、次の日のチェックアウトが8時の予定だったので、荷物の整理をして、風呂に入って寝た。

9月14日(木曜日)

 朝は7時に起床。朝は特に何も食べずに、荷物を整理して8時頃にコンドミニアムをチェックアウトした。この日は8時30分から9時くらいの間にシンディさんが迎えにに来てくれるということだったのでコンドミニアムの前のベンチでしばらく待っていた。

 9時過ぎにシンディさんが来たので荷物を車に積もうとしたが、トランクケースの中はいっぱいで荷物が入れれず、全部の荷物を座席に入れたのでぎゅうぎゅうになってすごく窮屈だった。15分くらい車で移動して、シンディさんの家に着いた。シンディさんの家というか、敷地にはたくさんの人達が住んでいて20人くらいの人達が暮らしているらしい。

 この日は週に一回ある食料の配給の日ということで、貧しい人達が多く来るということだった。実際に行ってみると40人から50人以上の多くの人達がいた。車から降りるとき、荷物は持ってこなくていいと言われたので、車に置いて、教室のような所に入った。

 中には長机と椅子とホワイトボードが置いてあり、中年の男性が英語で講義をしていた。10分くらいしてその講義が終わると、シンディさんがみんなに、簡単に僕たちの紹介をしてくれた。

 その後、教室を出て、ステージがあるホールのような所に行き、段ボールの箱を並べて、中に食料を積めていく作業をした。ここではFredrikと一緒に作業をした。段ボールにそれぞれ、これは何個ずついれて、これは何個ずついれていくんだということを教えられて、段ボールにいれていった。

 その後は配給のトラックが来たので、そこから荷物を降ろすのを手伝った。ラインを作ってバケツリレーのように渡し渡しで荷物を運んだ。100箱近いパイナップルの箱が目の前にあるのは、なかなかすごい光景だった。その他にもパンや果物、野菜などたくさんの食べ物の箱を降ろした。

 その後は、グリーンハウスと呼ばれる倉庫のようなところに食料の入った段ボールを収めていった。これも列を作って順番んに橋渡ししていった。重い箱も多くあってなかなかの重労働だった。一段落して、昼食をキッチンでとった。サンドイッチとチーズとサラダをターキーで巻いたようなものを食べた。

 昼食後はそれぞれの場所ですることがあれば手伝って、その合間はいろんな人と話しをしていた。メラニー、クリス、ミユキ、ポントス、フレドリック、デイビッド、サムエル、ターマー、ポール。。。

 ポールは空手ような動作をよくしていたので、真似していたらパンチの出しかたや、構えの姿勢などを熱心に教えてくれた。拳でうで立て伏せをするのも見せてくれた。おもしろいと言ったら、ハワイ
に先生がいるから番号教えてあげようかと言ってきたけど、来週の月曜日に日本に帰るから無理だと言った。

 ターマーは少しだけ日本語を知っていてすれちがう度に「どうも、どうも」と言ってくるのでおもしろかった。彼女は、日本に5人友達がいると言っていた。また、韓国にも友達が何人かいると言っていた。日本語よりも韓国語の方がうまく話せるらしい。

 メラニーとクリスも少し日本語を話す事ができて、簡単な日本語をいくつか教えてあげた。

 夕方くらいになると少し作業も落ち着いてきた。教室の隣の部屋でポールがギターを弾いていて、もう一本ギターがあったので一緒に適当に弾いた。なかなか面白かった。その後は、夕食までみんなシャワーを浴びたり、それぞれの部屋に戻ったりした。

 夕食の時間になると、みんなステージのあるホールのような所に集まってきた。みんなスーツを着たり、昼間とは違った感じでおしゃれをしてきていた。

 ピーターはピンクのポロシャツにピンクのサングラスに全身緑スーツでとても奇抜だった。怪しかったけどすごく似合っていた。一緒に写真を撮ってくれといったら、もちろんといって撮ってくれて、そのスーツとてもいいですねと言ったら、とても喜んでいた。

 夕食はツナと焼いたものと、カレーのようなもの、シチューのようなもの、ポテトかとうもろこしかよくわからないが、こねてあるもの、パイナップルにぶどう。これらをセルフで取っていく感じだった。

 夕食後は席を囲んで、順番にそれぞれが話しをしていった。みんな英語で長い文章を話すのであまり理解できなかったけど、それぞれの生い立ちなどを話しているように思った。

 それが終わると机と椅子を片付けてフォースクウェアというボールゲームをした。結構長い間していた。途中で抜けて、シャワーを浴びようと思って、昼間に案内された、外に設置してあるシャワールームにいったが、シャワールームは電気がなく真っ暗な状態でシャワーを浴びた。そのシャワールームは少しはなれたところにあって、少し山に入る途中にあるので結構こわかった。。。

 寝る所はシャワールームの目の前のロフトをあがったところにあるトゥリーハウスだったが、これも電気が間接照明しかなくかなり薄暗い感じだった。シャワーを浴びた後12時頃に寝た。

9月15日(金)

 6時30分起床。7時に教室に行く。セルフポートレートの発表。ギターを弾く。19の大自然を歌った。朝食はシリアル。清掃作業。ホールのか家具を整理。ルークとサラの手伝い。椅子を運んだり、テーブルを運んだりする。

 ルークもギターを弾くらしく話しをしてくれた。お互いイギリスのバンドRadioheadが好きだと言って、話しが合った。ルークの部屋の寝具を新しくするためにサラとルークと一緒に作業する。ルークは自分の部屋にあるギターとベースギターを見せてくれた。ギブソンのレスポールだった。それから、自分がベースギターをしているKID BROTHERというバンドの録音した曲を聞かせてくれた。

 ルークは昼食もいつの間にか準備してくれていて、一緒に食べた。ポテトサラダとサーモンとチップスを食べた。食べ終わった後には教室の小さな部屋でアコースティックギターでRadioheadの曲を何曲か弾いてくれた。ルークは朝歌った歌もギターもほめてくれたし、とても親切にしてくれた。

 たーまーと話して、石を運んで、みんなキャンプに行って、アルモアナに行って、買い物して、帰ってきて、ピザ食べて、ケーキ食べて、パソコンして寝た。

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About UMIODA

~BIography~ 1986 福岡県北九州市 生誕 1999 北九州市立大蔵小学校  2002 北九州市立大蔵中学校  2005 福岡県立八幡高等学校  2009 県立広島大学 コミュニケーション障害学科 2009~ 横浜市で言語聴覚士として勤務中
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