8月31日(金)
朝みんなでバスに乗ってこの島で一番大きいという、クイーンズホスピタルに行った。トモさんという日本語がペラペラの人にずっと案内してもらった。さすが、一番大きいというだけあってスタッフの方もたくさんいた。薬の部門には薬屋さんがタッチして、あと、医者は電話でタイプライターに患者の様態を伝えるだけで、後は、タイプライターの人がカルテを打ち込むので、医者はカルテを書かなくていいらしい。
夕方からは、ヒルダ・カタヤマさんのところに泊まりに行った。私は水着が買いたかったので、家に行く前に、アラモアナショッピングセンターに連れて行ってもらった。シャーリンとクリスティーが案内してくれた。でもあんまり気に入ったものが見つからなかったので、何も買わずに帰った。家に帰るとクリスティーとヒルダは教会に行かなければならなかったので、私とシャーリンとみゆは、3人で怖いDVDを見た。その後、ピザを注文した。シャーリンの友達も来て、4人でピザを食べながら、いろんな話をした。好きな音楽の話や日本とアメリカの手話の違いなどの話で盛り上がった。それで、みんな帰ってきて、シャワーを浴びて、クリスティーの友達が歌ってるビデオを見て、寝た。
9月1日(土)
朝起きて朝食をヒルダさんと3人で食べてから、シャーリンと4人で沖縄フェスティバルに行った。沖縄フェスティバルだっていうのに、私はハワイアンなお昼ご飯を注文した。
草の様なものの中に豚の角煮のようなものが入っていた。私はどうやって食べるのか知らなかったので適当にとりあえず全部食べようとしていた。草を一口食べるとまずかった。でも大量に草があったので残すのは悪いと思ってずっと食べていた。
チャーリンが途中で気付いてくれて、「それは食べるものじゃないんだよ! はがして中の肉を食べるんだよ!」と教えてくれた。私は、「あ、そうだったんだ」と思って、もうこれを食べなくてよくなったのでほっとした。中のお肉は普通においしかった。
他の3人は沖縄そばを食べていた。そのあと沖縄餅を買ってくれた。私は食べたことがなかったんだけどすごくおいしかった。沖縄の人の太鼓なども見た。私は日本人だけど見たこともなかったし、あと沖縄の文化はハワイの人達に親しまれているなと感じた。
それから家に戻り疲れたのでお昼寝をした。7時くらいに起こされてワイキキのショッピングセンターに行った。夜のワイキキは初めてで楽しかった。車はシートベルトが自動でびっくりした。また、駐車場が路上に止めて、そこにお金を入れるというシステムだったのもびっくりした。家に着いたのは今日も夜遅くて、コテッとその日も眠った。
9月2日(日)
朝から日本食って感じのご飯を作ってくれた。ヒルダさんのところは日本の料理や食べ物がいっぱいあった。日本が好きみたいだった。
ワイキキビーチにジョナサンが連れて行ってくれてシュノーケリングをした。ブギーボードも少ししたけど、なんだかよくわからなかった。家に帰ってからまたまたお昼寝。
5時半頃、教会に行った。教会というから、私はマリア様なんかが飾ってるようなところを想像してた。でも行って見たら、楽しげな人達がたくさんいて雰囲気が違った。
山の上にある教会で、そこからはパールハーバーが一面に見渡せた。すごく景色がよかった。パールハーバーを見て、映画のパールハーバーを思い出して感動した。
もう少し景色を眺めておきたかったところだったけど、教会に戻った。始まりは、いきなりバンドの歌からだった。私は想像もしていなかった出来事に圧倒もされたけど、みんなジャンプしたり、手拍子したりしてたので、私もとりあえずやってた。すごく楽しかった。途中で泣く人とか出てきたりで、何がなにやら分からなかったところもあった。私は、牧師さんに頭をもって祈ってもらった。
会が終わった後、いろんな人と話した。この教会は、日本の横浜にもあるらしく、日本に興味を持っている人がたくさんいた。しかも、日本語を勉強してる人もたくさんいた。日本語の勉強に私は使われていた。でも、みんな日本語が上手で全然違和感はなかった。
その後、アメリカ人の若者の集まりにも連れて行ってくれて、とてもいい体験だった。普通の観光ツアーじゃ体験できないようなことを一杯したような気がする。なんだかすごく楽しい体験をさせてもらったので、私も何かしてあげたいと思い、とっさに、「こんど、お好み焼をご馳走します。」と言ってしまった。あまり上手に作れないのはわかっているのに。でも、シャリーンは、すごく喜んでくれて、友達も誘って行くからと言ってくれた。
どこか行きたいところがあったら電話してくれたら、車で迎えに行くからと、電話番号まで教えてくれた。とても仲良くなった気がした。そして、夜12時くらいに家に着いて、その日もすぐに眠った。
9月3日(月)
今日の朝、ご飯は、ヒルダさんと娘さん達と私達と、大勢で食べた。ご飯の上にいり卵がのったものと、まぐろのぶつぎりのようなものがでてきた。なんとなくやっぱり日本が好きなんだなというのが伝わってきた。
朝食を終えると、みんなでハナウマベイに行った。でも、着くと私と大塚さんだけ海の中で遊んでて、あとの二人はずっと浜にいて日焼けをしていた。なんだかクールだった。
いきなり変な男の人が来て、「写真を撮って!」と言われた。私は、よく分からなくてオドオドしていたら、カメラを押しつけられた。どうやらシャーリンと二人の写真を撮って欲しかったみたい。私はカメラマンになった。
海の中はすごく楽しかった。海は青いというのは本当だった。青い海を、初めて見たような気がする。水中カメラを買ったので、カメラ片手に二人で海の中に入って行った。「はぐれないようにしようね」といった次の瞬間にはぐれた。
カメラも向こうに渡していたので、とりあえずどの辺に魚がいっぱいいるのかを下見してから浜に戻った。
いっときして、大塚さんも戻ってきた。カメラはどうやら海の上にプカプカ浮いてたらしく大塚さんが拾ってきてくれていた。危なかった。
2回目は、今度こそはぐれないようにずっと手をつないで潜って行った。こんどははぐれることはなかった。
写真をたくさん撮った。でも、なかなか深くまで長い時間とどまることができず、あまりいい写真は撮れなかった。二人の写真も欲しかったので、海の真ん中で出会った男の人に写真を撮ってくださいとカメラを渡した。
いきなり波が強くなった。私達はカメラを手渡したまま、その人の近くから離れることが出来ずに、ずっと近くでポーズをとろうと頑張っていた。
でも男の人は、「近すぎて撮れない。もっと向こうに行って!」と、叫んでいた。私達も強い波のせいでなかなか思うように行けなかったのと、男の人もずっと叫んでいたので溺れそうになっていたので、これもあまりいい写真ではなかった。
でもいい思い出。いろんな出来事がいっぱい詰まった写真だと思う。
1時半くらいにあがって、お昼ご飯にロコモコを食べた。ハワイで有名な食べ物だそうだ。それから、ナコスに戻った。毎日がすごく楽しくてすごく短く思えた。本当にいい体験ができた。
9月4日(火)
朝からデニースさんのスクールバスで、ホスピスに向かった。車で30分くらいのところだった。セントフランシスホスピスも緑に囲まれた奇麗なところにあった。ホスピスに行くのは初めてだったので緊張していた。中に入ると、やはり他の今まで行った病院とは何か雰囲気が違った。ますます緊張してきた。中の案内は、女の人がしてくれた。キッチンとロビーのようなところくらいしか見ることが出来なかった。
あと、ここの病院にもチャペルがあった。日本の病院にはほとんどない。患者さんの宗教を重んじていた。
そのあと会議室のようなところに入って、みんなで討論していた。お話しをしてくれていた人は、1997年に私達の大学に講義をしにきていたそうだ。
話は英語が早くてなかなか聞き取ることが出来なかった。でもとりあえず、ホスピスでは、治療ではなく緩和。患者さんの意思が絶対的。生き方を選ぶ権利。こういうものを大切にしているということが分かった。私が自分が死ぬ時、どういう死に方を望むか、また、残された時間をどのように使うか問われた時、さっと答えが出なかった。恐ろしくて・・・ でも、ここにいる人達はその恐ろしさに直面して、逃げずに真直ぐ立ち向かっている。すごく強いなと思った。
帰る途中、みんなでお昼ご飯を食べて、CDショップにいって帰ってきた。ナコスに戻るとクリスティーナがいて、私達にアルバムを見せてくれた。アルバムを作ることが彼女の趣味だそうだ。すごく可愛くて、手がこんでいた。1ページ作るのに平均して5時間から6時間かかるそうだ。結婚式の写真と子供の写真を見せてくれた。スクラップブックを作る道具を売っている店もあるし、雑誌もあるそうだ。とても興味深かった。私にはセンスがないから、あんな奇麗なものを作るのは無理かもしれないけど、自分でも作って見たかった。
9月5日(水)
今日は小林さんのお話しを聞いた。東京大学の文学部から、何故か、神戸大学の医学部にいって、その後、カリフォルニアの大学を出て・・・ なにやらすごそうな人だった。話の内容は、小林さんの経験からの日本人がアメリカで働くということだった。
いきなり初めから、とてもリアルな話ですごく興味深かった。アメリカの病院はすごく厳しくて実力のないものは、どんどん切り落とされ、実力のある人だけが残れるんだと。
日本と違って、免許はただの紙切れでしかない。免許は、これから修行を受けることが出来る証明書なんだと。なんだか、言葉の一つ一つが厳しくも聞こえ、また、これが現実だということも実感出来た。
その一方で、たいした英語力はなくても、普通にコミュニケーションをとれるくらいの英語力でやっていけると言っていた。
英語は話した量に比例して上達していくので、とにかく話しなさいと言われた。すべての話がプラスになった。厳しいことを言われても、自信をなくすどころか、やってみようという挑戦に変わるし、安心させてくれることも話してくれる。
でもすべて本当のことを話してくれるので、「嘘じゃない?」という疑いもなく素直に受け止めることが出来た。本当に心に残るお話しだった。
いつもは話を聞いてもあまりメモをとらないけれど、今回は家に帰ってから、今後の自分のためにきっと役に立つと思ったので、ガッーとメモをとった。熱心に聞いていたのでかなりの内容を覚えていた。
9月6日(木)
今日は、デザイナーのジェインミホさんとお話しをした。82才の方で、今では貴重な戦争経験者だった。太平洋戦争の時の話を詳しくしてくれた。今までは、日本の立場からの声しか聞いたことがなかったけど、ミホさんは、アメリカにいた日本人の立場で、話の視点も少し違って新鮮だった。私は、映画のパールハーバーが大好きなので、それと少し恋愛物語がかぶって、とても興味深かった。人生、今まですごく幸せだったと言っていた。そんなふうにいえる人生に私もしたいなと思った。
9月7日(金)
朝からダイアナさんがホテルに来てお菓子を食べながらいろんなお話しをした。ダイアナさんは、日本好きの人で日本の政治のことや、テレビ番組のことなど、すごく詳しかった。
だんだん私は英語で人と話せるようになってきた。結構、口数が増えたように思った。
英語で話すのが楽しかった。ダイアナさんは、今朝、一人で道路をハイハイしている赤ん坊を見つけて、親を捜さなければならないというハプニングのため、少し時間も遅れていて、すぐに時間がきてしまった。もっと話したかった。
私達は、自分の理想の結婚話などをずっとしてたけど、ダイアナさんはやさしく聞いてくれていた。本当に優しい人だった。
ちょうどカレーを作っていたし、もっと一緒にいたかったのでお昼ご飯にカレーを食べていったらどうですかと誘ってみた。すると快くOKしてくれて、一緒にご飯を食べた。とてもおいしいと喜んでくれてすごく嬉しかった。
でも時間の関係で、もう別れなきゃいけなっかった。ハワイアンキルトの材料を買いにいかなければならなかった。お店に着くとウイノナさんが待っていた。買うものを一緒に選んでくれた。私はパイナップルの模様を一目見て、「これだ!」と思い何も迷わずに一瞬で模様を決めた。色もすぐに決めた。パイナップルなのにピンクというアンマッチな組み合わせが、私らしくていいんだと勝手に思ってた。
あまり裁縫は得意ではなかったけど、自分の気に入った色と模様だったし、教えてくれる人もいたので楽しみで楽しみで、すごくやる気だった。ウイノナさんは、優しい人で丁寧に教えてくれた。でも私には難しい技術だった。時間がすぐにきてしまい残りは宿題になった。
9月10(月)
朝からウイノナさんとキルト作りだった。私はなんとか全部終わらせていったが、縫い方に問題があったらしくほとんどほどくことになった。とても悲しかった。
せっかく今ウイノナさんがいるのにほどく時間がもったいなかった。次のことを教えてもらいたかった。でもほどくしかなく、その日は、ほどくだけで終わってしまった。
夕方からは、フラダンスを習いにアンさんのいるシュライナーズ子供病院へ行った。思ってたより人がいっぱいいてみんな明るくて楽しかった。踊りは、あまりしないので体力がなく、途中疲れたけど、どんどん高度な動きになっていくと、自分はすごいことをしているんだと感じて気分がよかった。でも疲れた。
その日の夜、シンディーさんのお宅にファミリーコンタクトに行った。初め会った時、怖かった。すぐにお風呂に入り、あがってからとりあえず何か話しておこうと思って話の輪の中に入ってみた。
でも自己紹介を少ししただけで、すぐに猫のミルクの容器を買いにいくと言って、私も一緒について行った。デニースさんとアンデと一緒に行った。帰ってきてからアンデの部屋におよばれして、猫を見せてくれた。とっても小さくてすごくかわいかった。2ヵ月だそうだ。アンデは映画好きなので、部屋にビデオがたくさんあった。私も映画好きなので映画の話で盛り上がった。そして、1本ビデオを借りて自分の部屋に戻ってすぐ寝た。
9月11日(火)
朝8時に起きた。9時15分にこっちに来てねと言われていたので用意をしたあと、部屋の中で時間がくるまで日記を書いてた。それから9時くらいにデニースさんに呼ばれて、デニースさんがせかせかと朝ご飯を作ってくれた。
私はゆっくり食べていると、Cindy さんは怒っていた。どうやら9時15分に家を出るという話だったみたい。結局、昼ご飯も自分で作れと言われたので10分くらい遅れてしまった。車の中では怖かった。もう帰りたかった。
これから小学校にコンピュータを教えにいくのよと言われた。私はコンピュータの知識なんて全然ないし、小学生の前にいきなり出されるなんて不安で、ますます帰りたかった。
学校に着くと、時間があったので体育館のようなところに行った。子供達がクラスごとに歌を歌っていた。今日は グランドピアノのレッスンの日で、おじいさんおばあさんがいっぱい見学にきていた。私もずっと後ろの方でみてた。
子供はみんなかわいかった。こどもの歌はかわいい。音がはずれたり手拍子が合っていないところがとてもかわいらしい。20分位見た後、コンピュータの教室に戻り、お昼ご飯を食べた。私はサンドイッチ。Cindy さんは、チョコレートを食べていた。昼ご飯を作る時間がなかったからと言っていた。私はチョコだけで大丈夫なのか心配で、サンドイッチを2個持っていたので1個をあげようとした。すると、「大丈夫、これは健康食品で、栄養満点だから」と言っていた。私もお腹が一杯で2個食べきれなかったので、それでも渡そうとすると、「後で食べたらいいよ」と言ってやっぱり受け取ってくれなかった。
そうこうしていると、12時15分になり、生徒がぞろぞろと中に入ってきた。私はすごく緊張した。とりあえず座っているのもなんだから、教育実習で来た学生のようにおとなしく立っていた。Cindy さんが紹介してくれて、みんな挨拶をしてくれた。すぐに授業に入った。
年が、結構、上の学年だったようで、みんな自分でいろいろやっていた。私は出る幕なかった。なかなか子供の英語が聞き取れなくて、いろいろ話したかったけど思うように話せなくて悔しかった。授業が終わると、その日はすぐに帰った。私は家につくとすごく疲れててすぐに眠ってしまった。(夕方の4時くらい)
9月12日(水)
昨日の午後4時から今日の朝7時まで眠ってた。デニースさんから、「ながーい眠りだったね、心配してた」と言われた。デニースさんは、私が困っていると、どこからともなく現われていつも助けてくれる。
今日も朝ご飯を用意してくれていた。私はただ食べるだけだった。今日は、昨日ずっと寝てたせいで何時に出発するのかわからなかったので、ずっとリビングにいた。
9時半くらいにCindy さんが現われて今日も小学校に行った。今日は朝から授業だった。
実は、放射線学科に入る前、私は小学校の先生になりたかったんだ。でも、日本は子供の数がどんどん減っていて、もう先生はあふれてるから先生になるのは難しかったから道を変えた、という話をCindy さんにした。
そして今日の授業では、私に子供達と接する機会をさりげなく与えてくれたように思った。「写真を撮るわよ!」といって、私と子供達の写真を撮ってくれた。今日は8歳くらいの年の子供達で昨日とは違って、かなりみんななついてきた。みんな私のことを、「きこ! きこ!」と呼んでいた。今日は少しだけど、質問されて答えることが出来た。
授業が終わってからも子供達が抱きついて離れなくて、すごく嬉しかった。外に遊びに行こうと言われて引っぱられたけど、私は、Cindy さんの目が怖くて遊びに行かなかった。
「来週の水曜日も来る?」と言われて、来週はもう日本に帰ってるから来られないと言ったら寂しそうな顔をしてくれたり、授業が終わって帰っていると、運動場で生徒がいっぱい遊んでいたんだけど、遠くの方からでも「きこ!ばいばい!」と手を振ってくれる人もいて帰りたくない感じだった。
家に着いてからひと休みしていると大きなトラックが来て、中からミルクやら、野菜やらフルーツやらが大量に出てきて、みんな運んでいた。私は、何が何だかよくわからなかったけど、とりあえず軽そうなものをチョコチョコ運んでみた。中には腐ったフルーツなど一杯あった。 何するんだろう、こんなに一杯・・・と思っていた。どうやら、ホームレスの人とかにわける食料らしい。怖そうな人だったけど、すごく良心的な家庭だった。