前回に引き続き、家庭医道場で充実した時間を過ごさせていただきました。道場で得られたものがたくさんありすぎて何を話していいものやら本当に考えました。それでも、やはり一番心に残ったのは、今回の道場のキーワードとなった「覚悟」です。
今、全国に名だたる馬路村も、数十年前、ゆず畑ができる前、林業を営み、救急車、消防車もないこの村を守り続けて来た人達がいて、現在、ゆずの加工品産業を中心に馬路村を誇りや勇気、自信が持てる土地にしようという思いを持った人達によって作られていることを知りました。馬路には、きれいな川に山、ささやかな温泉、なにより、温かい人間関係がありました。
スーパーも遊技場もコンビニもない馬路村、便利か不便かといえばやっぱり不便です。不便=マイナスとは限りませんが、中規模病院が近くにない、救急車が近くにないことは価値観ではクリアできない問題です。私が会った多くの人、特に高齢の方は、「覚悟している。覚悟しなければ住めない。」とおっしゃっていました。なにか起きた際、間に合わない。はっきりは言わないけれど、普段それほど意識してないけど心の底に垣間見える「死」というものへの覚悟。ただ好きだからという理由ではなく、覚悟をもってそれでも馬路で生きたい。胸が熱くなりました。おじちゃん、おばちゃんの「不安も不満もない。」この言葉に全てが詰まってる気がしました。
孫を楽しみに生きるおじいちゃん、電話で毎日のように息子と話すおばあちゃん、子育てに奮闘する売店のおばちゃん、村をよくするためにと夜通し熱く語る兄さん。一見ありふれた、当たり前のようで難しいこの生活のお手伝いを、診療所で医療従事者ができるのならなんて素敵なことだろうと思いました。
診療所で医師、看護師をするということ。何を覚悟しなければならないのか。馬路の人達が、馬路で生きる覚悟をするように、馬路で医療をすることを覚悟しなきゃならない。例え、自分がいままでどんな医療をしてきても、どんな勉強をしてきても、そこで行うべき医療は、医療従事者側が与える医療じゃない。馬路で必要とされる医療、それが馬路の医療なんだ、診療所の医療なんだと思った。そこにきたからには、覚悟しなければならない。馬路の医療をする覚悟。
とても難しい手術をする神の手もだけど、土にまみれた手を握る手もやっぱり医療にはなくてはならないと思った。
今回の家庭医学道場、家庭医道場を企画、携わってくれた先生、実行委員のみんな、一緒に来てくれた友達、馬路を熱く語ってくれた皆さん、診療所の先生、看護師さん、村の方々、みんなに感謝したいと思いました。道場の終わりに終了書をもらった時、自分って生かされてるんだと思い目頭が熱くなりました。これを機に自分の目指す医療ができるようまた頑張っていきたいと思います。