障害を考えるということ

先日、このようなことを言う人に出会いました。

「障害をもっている相手と結婚したら、遺伝するからやめなさいよ。子供がかわいそうだからね。」

何か、ものすごく憤りを感じました。かわいそう?誰が決めること?それは私たちが決めること?
その言葉を発した方は、体も強く、エリートとして生きてきた人です。なんて想像力がない人なんだろう。自分さえよければいいのか・・・。
「障害をもつことは不便だけど、決して不幸ではない」。たくさんの方がこの言葉を発しているのに、まだこんな考えの人がいるのは、本当に残念です。

最近、大学院の授業で障害者福祉論特論というのを受けています。
その中で物事のいろいろな見方(モデル)を習います。今まで、私が信じていた常識が、たくさん崩れていっているような気がします。何が正しいという答えはないけれど、私の中で、今まで間違った考えをしていたことに気付かされることが多いです。こういう授業をうけているので、あんな言葉を聴いて、よりいっそう憤りを感じたのかもしれません。

今は、常識や当たり前なことなんて、本当はどこにもなく、大多数の人が信じていることに従っているだけかもしれない、そしていつも自分の考えを、良い意味で疑っていたいと思っています。

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