命を断つということ

 昨日なにげなくふと思いたって友人にメールした。夜中の1時くらいだった。今日の朝返事が来て友人の友達が自殺でなくなったことを聞かされた。言葉がみつからないまま電話した。

ただ生きるという願さえもかなわない人が世の中にいるのだという現実に悲しくなった。また友人も自分になにかができたんじゃないかと自分をせめていた。いろいろフォローのようなことはしたけど、自分がその友達の立場なら同じように考えずにはいられないと思う。

もともと自殺には、すごい否定的だった。病気や事故で本当に生きたくても生きられない人がいる。一日でも長く生きられように祈っている人がいる。なのに自殺は自分で命を絶ってしまうのだから。でも最近は、自殺をする人も病気や事故ではなくても、社会的であったり、いろんな理由でもうそれ以上生きられなくなってしまったのかと考えるようになった。

家族、友達いろんな結びつきの中で自分がいなくなった世界を考え、それでも、そうせざるを得なかった友人の友人。

その人は、福祉関係の仕事をしていたようだ。自殺の経緯はわからないが最近は、介護士や福祉士が低賃金で過酷な労働をしいられている。僕の友人でも福祉関係の友達でうつ病になったり仕事をやめたりする人が増えている。優しい人、まじめな人が住みにくい世の中なのかもしれない。将来願わくば医療従事者をしっかりと守ることのできる病院づくりがしたい。

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1 Response to 命を断つということ

  1. NorikoNagata's avatar NorikoNagata says:

     残された人は、もっと何かできたんじゃないかとかもっとこうすればよかったと後悔をする。これが優しさだと思うのは安易だろうか。以前「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに「悲しむ人がいるから」との答えを聞いたことがある。共感の心があれば殺人は起こしにくいだろうと思う。まぁ話はズレたかもしれないが。
     重松清著「その日の前に」、読んで欲しい。これから限りある学生生活を送るにあたっていい本にいっぱい出会ってほしい。私の出会ったいい本は徐々に紹介するよ。
     介護福祉士・ヘルパーという職業は本当に過酷な労働だと思う。排泄関係の世話なんてそんなに評価されるでもなく毎日繰り返される重作業。実際、私の職場でも多くの方が体を壊しながら働いている。彼ら彼女らを腰痛などの職業病から守るのは本来理学療法士の役目だと思う。実際、アメリカでは職員の健康管理(腰痛など)のために理学療法士をおいていると聞く。なので、一理学療法士としては、患者の移乗動作などのコツを出来る限り伝えるとともに、それを行う意義も彼ら彼女らに伝えていきたいと思う。
     いっぱいの種をまきながら、芽がでるということを信じ続ける。
     まさるのつくる病院でなら理学療法士を続けてみたいと思うかもしれないなーんて、ちょっと甘ったれたことも思ってしまうね。

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