今年の感謝祭は、日系アメリカ人家族と食事をする為、友達が日系の親戚の家に招待してくれた。暖かくて友好的な雰囲気の中で、四時間半に渡って、食べたり話したり笑ったりして楽しめた。そこでの共通言語は英語であったが、どうやら、私は大体日本語で話すことになった。恐らく、彼らにとって、日本語を完全に習得するのは面倒ではあっても、祖先の遺産の一部であるので興味があって、ぺらぺらと話す白人が現れると興味深くなるのかもしれない。
そのパーティーでは、日本で生まれた唯一の人とよく話すことになった。私は会話の最初に「オアフ島に五年位住んでいて、その間、ずっと日本語を勉強してきました。五年間で、こんなレベルの日本語を習得しました」と言った。
しばらくして、彼女は「日本にどのぐらい住みましたっけ?五年間ね?」と聞き返してきた。
「日本にいったことはないです。」と答えると、彼女は、戸惑っているように見えた。そこで、私は、自分の履歴や経緯をできるだけ明らかにしようとして、「日本に住んだことも、旅行したことも、出張したこともありません。」と丁寧に説明した。
私の説明を聞いて、彼女は、ますます私に興味を持ったようだ。「一体どうやってこの白人はこうなっているんだ」と考えていたのでしょう。
日本生まれのその人は、その後、娘さんについて話し始めた。彼女の娘さんは、福井県に25年住んでいて、現在、英語クラスの教授として大学で働いているということだった。彼女は、「自分の娘より、貴方の方が日本語が上手」と誉めてくれた。娘さんは、日常の会話は問題なくできるが、難しい話題になるとついていけなくなるそうだ。一方、私は難しい話題ができるばかりか、そんな話題が好きなのである。私は、「不思議だなぁ」と思った。
最近、もう一つの不思議な事があった。日本人の友達は、「日本のことを愛してくれてありがとうございます」と言ったのである。
最初は喜んだが、その後、反省させられた。日本に行ったことがないのに愛しているのか。それでは、有る物を愛するのに何が必要なのか。私が今までやってきたことは、大体、自分の部屋に座って、読んだり、コンピュータの画面に映っている情報に対応したりするだけであり、故に日本や日本人ではなくて、目の前の物だけを愛していると言えるのではないだろうか。
そんな摩訶不思議な運命から救ってくれるのは、友達の言葉の中の「こと」である。日本の「こと」を愛すると言う時、実は、本物ではなくて、それとの関係があることを愛するのではなかろうか。北海道や東京は、やはり「日本の事」という範疇にはまっているが、私の目の前のものも日本と関わっているので、それも同じく日本の事にしよう。私までもが日本の事だろうか。そう思えば、どんなものでも日本の事になる。
我々が漂流するこの世界は、人間に見られ、解釈された後、意義を持ち始める。目の前の世界を実際に歩いて見て、初めてそれを知るというのは勘違いだろう。正確に言えば、我々は、自分の立場から他人の意見や知識を考えて賛成するか、僅かに調整するかという過程を通して、その特質を定める。
例えば、誘拐されて、犯人からなんとなく逃げて、まったく見ず知らずの景色に直面させられることにする。その場合、目の前の景色は探検し甲斐がなかろう。寧ろ、別の人、或いは、地図などという人工物を参考にする。それらは、環境にどのような価値があるかを定めるものだからである。
人が、「ここはニホンだ」と言えば、「ニホン」になる。「アメリカだ」と言えば、「アメリカ」になる。その環境は、初めて人間に見えて、人間から名前を得る前は、何でもなかったのだ。
と云う訳で、愛している目の前のものを含有するこの部屋も、日本であることにしよう。まぁ、なるほどね。実は、私、日本に行った事がある。
チェイさんは日本の文化、日本人らしさ・・など様々な「こと」に
興味や親しみを感じてくださっています。
ナコスや、ナコスファミリーには日本が凝縮されていますので、チェイさんのお部屋はほぼ日本です。
私は最初は外国に憧れ、英語の勉強をしたくてナコスを訪れました。
初めてハワイに行ったとき、他の国の方から「日本ってどんな国?」と聞かれてうまく説明できなかったことに驚きました。自分の国について全く知らなかったことを知り、恥ずかしく思いました。私はそれまで日本人に生まれたことにあまり誇りを持っていませんでした。
今では日本のすばらしさについて知っていますし、誇りを持っています。
それは、チェイさんたちとお話する中で育まれたものであると思います。
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