Violin弾きのお美っちゃん~46


名前はどこから……

「お正月にうちに子犬が来ました。頭の形が卵みたいだからタマゴという名前にしました。タマゴは言いにくいので、短くしてタマと呼んでいます」とジャッキーが言った。ジャッキーは高校の帰りに日本語を習いに来ている。将来の夢は獣医さんと歌手になることだ。

ジャッキーの家には大型犬が2匹いる。ジャッキーの犬カッパーとお兄さんの犬ウメ。ウメは皮膚にシワがあって、酸っぱい匂いのする犬だと聞いている。ウメには梅干しのイメージがあるのだろう。「名は体を表す」とはこのことだ。

2月に日本の友人が、梅の花が咲きましたとメールで写真を送ってきてくれた。「これは梅です」と、私はジャッキーに見せてあげた。すると意外にも、ジャッキーは目を丸くして「ウメ?」と疑いの表情をした。

桃色の花びらをパッと開いたコンピューター画像で見る梅の花は、ちょうど梅干しの大きさだった。が、シワのあるウメではなかった。

「これは梅の花です。ウメボシではありません。ウメは梅の木の実です」と私は教えてあげた。ジャッキーは「ほうっ、梅は木ですか。きれいです」と見入った。ジャッキーの目も梅の花のようにきれいだった。

子犬タマの兄貴分ウメは、最初、新入りタマの仲間入りを快く思わなかったが、次第に先輩犬としての模範を見せるようになっているという話だ。ジャッキーもお兄さんのすることを真似て大きくなったそうだから、ウメとタマも良い兄弟犬になることだろう。

さて、その日。日本語のレッスンが終わって、ジャッキーは靴を履きながら、「タマ、タマ、タマ、タマ」と、早口日本語ことばのように言っておどけた。

タマの名前を呼ぶジャッキーの愛らしい顔を見ていると、私もつらされて、ワンではなくニャニャーオとデュエットしそうになった。が、ニャオとは発せず、「本当に言いやすいですね。でも、タマは日本ではよく猫に付ける名前です」と、この上なく平凡で、心ないことを教えてしまった。

すると、春のそよ風に揺れる桜の花びらのように動いていたジャッキーの唇が、ピタリと止まった。「ええっ、本当ですか?」。大きく開いた瞳も不意打ちの驚きを語った。それからさよならを言って、お母さんの待つ車の方へと足早に帰って行った。

余計なことを言ってしまったと、次に会うまでの一週間、私は心の片隅で気になった。

翌週、ジャッキーが来ると椅子に座るなり聞いた。「タマとウメは仲良くやっていますか?」。ジャッキーは落ち着いて「はい」と微笑んだ。タマは名前を変えられることもなく、お兄さん犬たちと仲良く暮らしていることを聞いて、私は安堵した。

確かに日本ではオス猫に、クロ、レオ、タマ、という名前は多い。名前には名付けた人の愛情と思い入れがある。だから猫的であっても、犬的であっても、ヒト的であっても構わないのだ。

ハワイに住んでいて、日本名のミドルネームがあるというアメリカの人に出会うと、反射的に、「どんな漢字ですか?」と聞いてしまう。日本名はあるけれども漢字は知らないという人とは、その人のイメージにふさわしい漢字を引き当てて、一緒に作ってみる。

「私は日本名のミドルネームを大変気に入っています。ミドルネームで呼んでください」と言ったカリフォルニアで生まれ育った礼児さん。なるほど、日本の礼節がそこはかとなく風貌に漂っている。ミドルネームで呼んでいるとつい、アレックスというファーストネームを忘れそうになるほどだ。

ミドルネームのない日本人の私にとって、ミドルネームというものは、あってもなくても良さそうなものだと考えていた。が、イニシャルで包み隠されたミドルネームにこそ、誰かの思いが込められた名前が付けられている、ということを知るようになった。

約2年前、2007年の春、私はかかりつけ医師の紹介状を持って、アレルギー専門医を訪ねた。初診で会ったのはドクター・クオという台湾出身の医師だった。その日、私は診断を受けた。

そして、治療のために通院していると、クリニックのスタッフが、「ドクタークオジュニア」「ドクタークオシニア」と言っているのをよく耳にした。どういうことなのかいぶかしく思った。

そう、同じクリニックには、同姓同名の、親子のアレルギー専門医が二人いたのだった。

クリニックのスタッフは、さらに簡単に、息子医師をジュニア、父親医師をシニアと呼んでいた。親子ともファーストネームが同じでありながら、ミドルネームの存在感は薄かった。

私はジュニアの受診を重ねたのち、ある日、シニアの診察を受けることになった。診察室で待っているとシニアは快活に入ってきた。それから私に背を向けてカルテに目をやった。数秒の沈黙だった。私はその背中に言った。「ドクタークオ、シ・ニ・ア。やっとお会いできました」と。

するとシニアは、錯覚で何か謎めいた暗号を聞いたかのように、くるりと向き直した。それから、何事もなかったような素振りで「はじめまして」と、大きな手を差し出した。私たちは友好の固い握手をしていた。シニアの手も固くてごつごつしていた。

そのようないきさつによって、二人の医師、「ジュニアとシニア」は、私のアレルギー治療の主治医となった。名前の最後に付けられるその呼び名は、それ自体が個々の名前のようになり、フルネームの先頭を切って歩いているようだ、と思った。


This entry was posted in Story - FiddlerMi 1. Bookmark the permalink.

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Google photo

You are commenting using your Google account. Log Out /  Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s