医師で作家の南木佳士と、同じく医師で作家の鎌田實、このふたりは、同じターミナルケアを扱っているのに読む著書の中で大きな違いを感じる。ターミナル、人間にとって特別なものである死に、常に対峙し続けるところだ。鎌田實が、ターミナルにおいて常に前向きにそして鎌田實自身が常にあたたかな人間でいられるのに対し、南木佳士は、一時的にターミナルに疲れ、治療して生へとつながっていくという実感を得るために海外の外傷の治療にでかけたことがある。ふとどちらが真かと考えたとき、やはり南木佳士が真と考えた。それは、普通に生活している人間にとって死というもの非日常的なものであり特別なものである。それを日常の一部として取り入れなければならないターミナルケアの現場は、医師である前に人間でもある医者にはやはり過酷なものであり、精神衛生上よくないと思ったからだ。
しかし、この夏長野で大学でお世話になったT先生にこの質問をぶつけたとき納得のいく答えをもらった。それは、患者の死に対し、一人で立ち向かうのか、またはチームで立ち向かうのかという違い。患者の死はみなで分かちあい、患者が起こした奇跡、軌跡はみなで喜びあう。確かに。南木佳士の小説を振り返っても確かにそうだ。一人での戦い。鎌田には仲間がいる。鎌田先生の講演会をきいたとき、こう言った。「直せなくても感謝される。」そういう職業であると。直せないから終わりではない医療。直すことのみを目的としない医療。これからは、そんな医療が大切になるのではないかと思う。